進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

交さ路(9)/モモ⑧

今は母を懐かしむしかないが、「ちゃんとしなさい」と窘められてばかりの私だった。馬鹿な子ほど可愛いと云うが、この格言を身を以って味わった私だから分ることはあって、世間は私のようなバカ息子を親不孝者と呼ぶようだが母の命を削った温かい血が私の体内を流れているのが実感できて、そんな私には実感できないあなたが気の毒に思える。母の「ちゃんとしなさい」は今なら素直に聴けるのに、母以外の「ちゃんとしなさい」にはどうして反発したくなるのだろう!ぁ、カミさんのちゃんと(して)には素直であらねばと思う勝手な素直さ!(;^_^A アセアセ・・・

ちゃんとしたくらしをする時間のゆとりがあったら、いまとはぜんぜんちがう人間になっていた(河合俊雄氏の講義より) 権威の説教に素直なあなたかも・違うかも。それで思うのですが、母とカミさんの違い⋯⋯ですよ。母とカミさんとでも違うのに、況してや権威ですよ。あなたはドッチか知りませんが、私には母とカミさんが重い。あなたとはココが違うかも知れませんし、違っても仕方ないと思う。なにせ私は親不孝者実感もしている。念のために申せば親不孝のすすめをしているのではありません。求めずして得られた私の母の愛。私は母の愛を繋ぎたいのかも知れません⋯。

権威の言葉が哲学なら、母の言葉は感情的、カミさんの言葉は私の責任。これはどう見ても権威に従がうのが無難に思えますね。ま、思うのはどれでも好いとして、現実に係わるなら厳しく選ばなければなるまい。これは私の座右の銘のようになっていて「自分で選べよ」と言ってしまってコンコンと諭されたり、近ごろではカミさんに頭が上がらなくなっていて情けなくも嬉しくも悔しい昨今。賢い貴男なら上手かも知れませんね。ともあれ、河合講師の講義に見境なくイチャモンを付ける積もりはなくて、此処は哲学力を鍛えていただいてる場だと思えばこそ、無茶な喧嘩も売ってみたり⋯の私なのです。

さて、今日は終戦記念日ですから「東京裁判」のドラマの判事の言動を通して観ておきたい。因みにポッダム宣言を受入れた敗戦国日本の意見は求められておりません。(世界中どこでも)該当する案件が起きた時点で存在する法を拠り所(担保)に進められる裁判を正当とする。これが事後法の禁止(=遡及処罰の禁止)です。異なる文化間に於ける裁きの場に恣意・偏った判断が入ることを防ぐ目的の事後法の禁止国際司法裁判所の判断も過去一貫して遵ってきた。ところが今回の裁判ではポッダム宣言の無条件降伏という一文を根拠に判事の大半が事後法を受入れたみたい。

東京裁判に関しては次回の記事で考えます。それにしても裁判の正当性ってナンでしょうか?この正当性ちゃんと述べられないところに現代哲学の闇が露見しているようです。あなたはいかが判断なさいますか?「ちゃんと」に関しても近日中にアップいたします。「ちゃんとしたくらしをする時間のゆとりがあったら」のちゃんとの真っ当な使いかたに付いてです。今回はココまでにします。了。