進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

交さ路(10)/モモ⑨


1⃣伝統的な戦時国際法において、休戦協定合意口頭による同意によれば良く文書の手交を要件としない
2⃣1945年(昭和20年)9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書休戦協定)に調印した日
3⃣9月2日降伏の日降伏記念日敗戦記念日と呼んでいた



戦争(終結)の国際感覚を上記、wikipediaに探って、私には現実的に観えました。世界の未来を現実的に捉えるか?理想的に捉えるか?あなたにも悩ましいところでしょうね。「感情的にならず、冷静であらねば駄目」ということは大概分かります。「理想論ではどうしようもない。現実が大事」と云う人はいて、その気持ちは私にも理解できる。現実は確かに大事ですが、その現実をどう導きだすのか?「現実が大事」と云う人が現実を大事に出来てれば良いが、感情的に「現実が大事」と叫ぶだけならナンテ悲しいことだろう。あなたもそう思うのでありませんか?

直前の記事「交さ路(9)/モモ⑧」で「モモ」の登場人物の床屋フージー氏は「ちゃんとしてない」と評価された。あの「ちゃんと」に伊集院光氏は納得・感動して見せたが、私はあんな馬鹿馬鹿しい詭弁を受入れることはできない。お分かりだろうか?詭弁を聞かされ・喜び感動する時間は「オレオレ詐欺」の声に理性を失ってお金を振込むのとドコがどう違う?それは人生の浪費でしかなく、伊集院氏のアホウな感動劇に見入っている視聴者は馬鹿を見て人生を浪費しているのです。伊集院1人が感動するのなら未だ好いが、第三者(視聴者)を巻込むのは如何なものか?

東京裁判の判事たちの姿勢に私は「現実論 vs 理想論」のバトルを観た。バトル戦は知識と知恵を駆使して、最後に折衷案で落着いたようです。そうは言っても、文化は時代を反映するしかない。東京裁判が開かれた時代の文化はマダマダ未熟でしたから民主主義の意味も理解も現代に比べると浅くて、自国が他国を侵略することを殆んどの国が否定しない。自国による侵略は許されて、他国の侵略には目くじらを立てたがる現実。しかも侵略に限らず同じテーブルに着いて平和裏に語り合うことが出来ない国は現代でも多い。その程度の文化の世界・時代ってことですね。

今回はこのへんで。了。