進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

自己超克/時宜(10-3)

「いじってたら楽しい」という声が生徒たちの間から出ているようだし、(私としては)この健全な声が高まってほしいものです。「遊びせんとや生れけむ戯れせんとや生れけん遊ぶ子供の声聞けばわが身さへこそゆるがるれ.」という感覚を不健全だと誰が言えよう? あなたは駄目と言いますか?遊ぶって⋯実に弄(いじ)る言動に他なるまい。私も弄るのはとっても愉しく・大好きです。だから子供には弄り方をしっかり指南してあげたいが、指南は要らぬお世話だろうし、野獣の親の仔育てを真似たら好いじゃないかと思う。野獣は巧い仔育てしてるでしょ?好きに遊ばせて、だけど危険に陥らないよう観ているでしょ?

例えば世間のことを知らない仔猿を親や仲間が観ている。世間に疎(うと)い生徒たちの安全を確保する責任は大人にある。だから家庭で親は責任者・学校で先生方は責任者・保育園で保育士たちは責任者。(私は)責任・責任者の意味を分っている人を大人(おとな)として信頼し委(ゆだ)ねることになる。仮にも私の管理下に置かれた子等は互いに打合い火花も散らす。或る子はナデナデしてあげてる・或る子は玩具の奪い合いしてる・或る子は怒ってみせる・或る子は泣いてみせる・また或る子は無視してみせる。そのように様々な対応のやり取り(いじり)が為される遊びの世界。助けを必要とする子・求める子もいるだろう。

それにしても責任を果たせる限界はどの辺だろう?人数的に・時間的に・体力的に等々、如何なる場合も、大人(おとな)が責任を果たせる数字(科学)を軽視してはなるまい。ちがうかな?だから無理はなるまいってこと。無理がある所で事故・事件は起きる必然でしょうね。私が述べている程度を理解できない小・中学生がいるだろうか?児童・生徒でも分かることを保護責任者たる者が理解できない筈がない。分らなかったと言うなら、それは横着・無責任の極みと評価するしかない。あろうことか(大人の)責任の尻拭いを小・中学生に取らせるなら、それはもう犯罪的・凶悪・害悪に違いないと断言して置く。

3年1組の討議によって、「いじりいじめの境界ははっきりしない」ということも明らかになった。社会人にもなって・親にもなって、それなのに中学生が明かした真実さえも分らないで大きな顔をしているなら困ったこと。梁塵秘抄には次の歌もある。舞へ舞へ蝸牛 舞はぬものならば馬の子や牛の子に蹴ゑさせてむ 踏み破らせてむ 実に美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせむ」。カタツムリと遊んだ記憶はお持ちだろうか?子どもには楽しい遊び・カタツムリには命懸けの厳しい・ツラい・苦しい時間が流れる所・遊び。この遊びは今も動物たちが生きるための訓練・仔育ての一環として代々伝え・教えているようだ。

弄りは人間の子どもたちにも無事に生きていくために必要・不可欠の遊びなのです。お分かりになりますね?この大事な大事な遊びを子に・生徒に伝えないところで悲惨な事件が起きるべくして起きる。この遊びは責任者が未成年者にしっかり教え・伝えなければならないってこと、どうかお分かりになってくださいね。親猫は仔猫に獲物の捕らえ方をしっかり教えているでしょ?一撃で仕留めては仔猫の訓練にならない。だからなぶり殺しにして遊ぶ。乱暴者の危難を避ける方法も仔猫は教わる。これは親猫の背を観てしっかり覚えるみたい。逃げる・甘える・強い仲間に助けてもらうetc⋯動物ごとに様々ですよね。

尚、そうじゃないってお思いなら、3年1組の生徒の背中を真似ては如何でしょう? 了。