進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

考/雨にも負けず➏

ここまで入沢康夫イーハトーブセンターを観てきて「添削者は賢治の詩を安っぽく貶めたデキ損ないの詩人にちがいない」という視点にまで辿りついた。この視点は間違いであってほしいという思いが私のなかには強くあるが、善悪の証明をイーハトーブセンターに期待しても無駄かな…と云うのは私の観たところ、その時々の権力に靡(なび)いているだけだ。権力が「ひでり」と云えば「ひでり」と云い、「」と言えば【」を向くような…詩に対する思い(詩心)が感じられない。権力がマジョリティならマジョリティに従う腹…か?

宮澤賢治は「ひでりでは駄目だが、ひどりでも表現が足りない」と思ったかも知れない」と自分なりに私は考えるが、それがイーハトーブセンターに見られないのは詩心を持たないからで善悪以前の問題かも知れない。「宮澤賢治は試行錯誤を繰り返した詩人」という事実はwikipediaで具体的に観れる。造語「イーハトーブ」を編んだときもイエハトブイーハトヴイーハトーヴイーハトーヴォ/イーハトーボイーハトーブ」と変遷している。権威に盲従する者は「試行錯誤する奴は駄目だ」と教えられると受入れる。

私の論考を読んで快く思えない人は「ひでりで駄目なら、なにが良いのだ?」と反論にならないイチャモンを付けたくなるかも知れない。反論は詩人の詩心に因るから有難い。イチャモンは権力の走狗の瞋(いかり)にちがいない。だから真理を求める心で「なにが良いだろう?」と共に探究する姿勢は善いのだが、そうでなく権力に逆らう者は懲らしめてやる・赦さんという感覚は困ったものだ。入沢康夫の「ひどり誤まり説」を広報に載せた不始末をどう反省しているのか?イーハトーブセンターには誠実な対応が求められて当然ですね?
未完/雨にも負けず