考/雨にも負けず➏
ここまで入沢康夫とイーハトーブセンターを観てきて「添削者は賢治の詩を安っぽく貶めたデキ損ないの詩人にちがいない」という視点にまで辿りついた。この視点は間違いであってほしいという思いが私のなかには強くあるが、善悪の証明をイーハトーブセンターに期待しても無駄かな…と云うのは私の観たところ、その時々の権力に靡(なび)いているだけだ。権力が「ひでり」と云えば「ひでり」と云い、「右」と言えば【右」を向くような…詩に対する思い(詩心)が感じられない。権力がマジョリティならマジョリティに従う腹…か?