進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

考/雨にも負けず❾

直前の記事へ「入沢康夫の『ヒドリ』誤まり論」を載せました。あなた流儀でソレをお読みになればあなた独自の解釈が可能です。私は私の読み方で私の解釈をさせて戴きました。その私の解釈はここに改めて書くまでもありませんから、10年前の記事で代用させていただくことにして、下に載せさせていただきます。

きっちりと述べておきますが、私は入沢康夫『ヒドリ』誤まり論」を読んだことで宮澤賢治を理解した部分が大きく、これは賢治を擁護するしかないと思ったのです。しかも賢治を擁護することは・すなわち入沢康夫の正当な評価をすることにつながる。私は賢治を生かし・入沢康夫を生かそうとしているのです。

あなたにはお分りだろうか?私と異なり、イーハトーブセンターの立場は入沢康夫『ヒドリ』誤まり論」をセンター広報板から無断で・世人の目から消し去った姿勢に表われている。『ひどり』誤まり論を消した意図が怪しまれるのは当然です。堂々とした正当な姿勢がセンターのどこにも見えないのは実に悲しい。

そうした結果、イーハトーブセンターは賢治を辱め、入沢康夫を貶めていることに気づき・深く深く反省しなければならない筈です。その恥かしい姿勢を改めもせず、「宮澤賢治はオッチョコチョイで、そのオッチョコチョイが書いた間違い多い詩を皆で読みましょう」と子供たちや愛好者に呼びかける・その神経は哀れです。

それにしても入沢康夫の「ヒドリ誤まり」は誰を哀れんで・誰を護ろうとして唐突に結論づけられたのだろうか?私にはイーハトーブセンターの恥かしい姿勢を哀れんだようにも見えるのです。正当な評価は正義であり、賢治と入沢康夫の人権を回復させて、更にイーハトーブセンターも健康になれる。

ともあれ、よろしければ下記の文をどうぞ!

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そよかぜ~文学少女
気.    . 吹  て . 通.  . す .ぎ .た         . 又  郎..  .も 

◆ここからは、入澤氏の論に対する私の疑問を展開致します。

(1)で、入澤氏は賢治が「ヒデリ」を誤って「ヒドリ」としたと結論付けています。
しかも、氏は反論のしようがない明確な学問的な根拠を述べたと言っているようです。
これは実に頼もしい文に出合って、私の疑問にさっそく、楔を打って貰えそうです。

(2)は、入澤氏の明確な論稿を読んだ人は「ヒデリ」で一致する筈だと述べている。
それにも係わらず、入澤氏の論に批判的な人が少なからずいるようだと、おっしゃる。
批判的な人たちは、トンデモナイ弊害を引起す原因になると考えているのでしょうか。
そのトンデモナイ人たちのせいで入澤氏が心を痛めているとしたら大変です。
これはトンデモナイ人たちに正しい論を易しく教え諭してあげて頂きたいものです。
私はそのどちらに与する立場でもないけれど、誤った論は正されねばならないと思う。。

公平な立場で言えることは、「ヒドリ」「ヒデリ」の論を比べる必要があると思う。
明確な論を述べたのであれば、読解力があれば正しいと解かるはずですし、
誤った論を述べたのであれば、人々を間違った方向にミスリードするでしょう。
これはやっぱり、入澤康夫氏の論稿を丁寧に読ませて頂かなければなりません。

(3)では、私も・他人も、考えることは同じと知って、安心しました。
入澤氏が過去に述べた明確な根拠を今一度、述べてくださると書いてあります。
これはやっぱり、私が信頼したい入澤康夫氏であるという意味です。

(4)では、物書き一般は誤りを為す生き物であると述べておられるようです。
その意見には大いに賛成こそすれ、私としては批判するつもりはありません。
確かに宮沢賢治も生き物でありますから、書き間違いは起こるかも知れません。
◆そのことで入澤氏がなにを仰りたいのか、私の能力では判断がつきません。
その訳は、一般論をもって賢治が書き誤ったとするのは乱暴すぎるからです。
「物書きも書き誤る」というフレーズを生かす途は、賢治を庇う場合でしょう。
すなわち、賢治が書き誤ったと結論付けられた時に「彼も人間だよ」で済む。
しかし、入澤氏は賢治が誤ったという結論をまだ出せていないのです。
その段階で「物書きも書き誤る」という言い方をする入澤氏を私は理解できない。

(5)では、宮澤賢治の間違い癖を開陳していらっしゃいます。
つまり、物書き一般に通じる癖を、(5)では賢治に特定して強調している。
入澤氏は賢治が実に間違いの多い人間だったと証明しつつあります。
「賢治は偉い先生が指摘するとおり間違っていた」のでしょうか。
入澤さんには、愚かな賢治だと人々に思わせるお考えはないと思います。
それゆえに、私には(4)(5)のフレーズの意味が理解できないのです。


(6)の論稿については、要約して箇条書きにします。
a.入澤氏は、十年間の書き誤り論議で顕著な「ヒドリ」騒動であると述べる。
b.手帳に記された「雨ニモマケズ」は作品かメモか祈りかと思っておられる。
c.そのフレーズが世上の話題に上って・持てはやされ・広く知れ渡っている。
d.賢治は本当に「ヒデリ」を「ヒドリ」に書き間違っている。
e.出版された本は全て「ヒドリ」説を採らずに、「ヒデリ」で載せている。
f.原本を観た人は「ヒドリ」が「ヒデリ」に訂正された事を知った筈である。

a)で入澤氏が何をおっしゃいたいのか、その意図が分かりにくい。
「ヒドリ」と書いてある原本を「ヒデリ」に直さなければ騒動は起きません。
そうすると、騒動を起したのは入澤氏たち「ヒデリ派」という事になる。
しかも「ヒデリ」に直した「ヒデリ派」の責任者の名前は明らかにされない。
つまり、騒動を起したくない「ヒデリ派」はそっと訂正したかったのだろうか。
そっと訂正したかったのが本音なら、(f)は「ヒデリ派」の泣き事に聞こえる。
結局、入澤氏を理解したい私だが、(a)で何を言いたいのか不明なのです。

b) 「雨ニモマケズ」は作品か? 自戒自省のメモか? 祈りか?
これについては、私も同じ方向で受け留めています。
完成した「作品」であれば発表していたかも知れませんね。
賢治が「自戒自省」するフレーズを並べたのかも知れません。
記載された「菩薩・仏」を賢治は生きる道標としたのかも知れない。
詩というものは、心の発露ですから、信仰心が顕れるのは当然でしょう。
私は「雨ニモマケズ」は未完の作品だったように思っています。

c)未完の作品が世間の評判になり・持てはやされているのかも知れません。
しかし、未完であっても日本人の心を大きく捉えたのは間違いありません。
否、未完の菩薩である凡人、賢治の生き様が人々の心を打った気がする。
即ち、「人口に膾炙した章句」に見えて、人間の本質を突いた詩に思える。

d)「a・b・c」と述べてきて唐突に、賢治が書き誤ったという意味が分らない。
強圧的に「誤りだ」と怒鳴ったところで、誤りの証明にはなりません。

e)過去の出版本が入澤さんの正当性の根拠になるでしょうか。
文学者たる立ち場の入澤さんが、素人みたいに記載事実を根拠になさいますか。
これまでの所、入澤さんは「ヒデリ」だと云うだけで、根拠を示していません。

f)については、(a)でも触れましたが、別の視点も重要です。
つまり、「ヒデリ」と書かれた「詩碑」や出版物は数多くある訳です。
原本を見ていない人のためには全ての「詩碑」に「ヒドリ」の注釈が必要です。
よもや、入澤さんは「原本なんか見る必要はない」とは仰いますまい。
かりにも、そうなら、入澤さんは「自語相違」になるのではないでしょうか。


(7)入澤氏の論、ここでは二点に分けます。
g)入澤氏は「ろくに考えもせず」「新説」「ジャーナリズムの需め」と述べる。
入澤氏は方言「ヒドリは日雇いかせぎ(の賃金)」説は、誤りとする立場です。
「原文どおり」を誤りとするには、明確なる誤りの証明をしなければならない。
原文は「ヒドリ」であり、入澤氏には「ヒドリ新説」説の証明責任も生じます。

そもそも、詩を読むとき、大概の人は「ろくに考えもせず」に読みます。
入澤氏も「捻くり回しながら読むのが文学者」等とお考えではないでしょう。
因みに俳聖・芭蕉は「句整はずんば舌頭に千転せよ」(去来抄)と教えますが、
詩人が言葉を選び採るときは「意味だけが重要」とは絶対に言えません。
深くふかく考えた末の「ヒデリ」書き変えでなければならないし、証明責任も生じる。
然るに入澤氏はココに至るまで「ヒデリ」の正当性をお述べでありません。
あろう事か、「ジャーナリズムの需め」とまで言い切った責任は重大です。

h)私たち一般が知る「雨ニモマケズ」は書き変えられた「ヒデリ」です。
・これは原文を知らない者の罪でしょうか?
・積極的に原文の「ヒドリ」を知らせなかった者の罪でしょうか?
・入澤氏は「不当に」と述べるが、それは文学を論じる正しい態度でしょうか?
・新聞・雑誌の「雨ニモマケズ」に、注釈・ヒドリは必ず載っているでしょうか。
・全国の「雨ニモマケズ」詩碑に、注釈・ヒドリは記載されているでしょうか。
原文「ヒドリ」ではいけない…とした根拠が薄弱では困ったものです。

全ては、「ヒドリ」を「ヒデリ」に書き変えた所に始まっています。
宮澤賢治の真意は「ヒドリ=日傭いかせぎ」でなかった証明がいちばん良い。
書き変えた正当なる根拠を明らかにしなければ、世の混乱を徒に招くのみ。
作品を部分的にも書き変えるなら、誰にも納得いく説明は当然欠かせない。
しかも、書き変えた事実を知らない人への配慮・責任感が欠けては困る。


(8)入澤康夫氏の論稿(1)~(7)に「ヒデリ」の正当性の証明はなかった。
逆に、「ヒデリ」に疑問を持つ人たちへの証明なき非難の言葉が目立ちました。
それは(1)~(7)の文を読み直して頂けば、どなたにも解かることで、
その入澤康夫氏の感覚で、(8)では「宮澤賢治」の人間が述べられている。
この入澤氏の文の中にも、宮澤賢治の真実は見えているようです。

入澤氏は「ヒドリ」が「日傭い(の賃金)」では、前後と文脈的につながらないとする。
すると、「ヒドリ」では詩にならないのでしょうか…これは興味のある指摘です。

入澤氏は大要・次の資料を引用して賢治を決めつけるが、それは正しいだろうか。
・賢治は、「夏の寒さ」と「ひでり」を、農家が困ることとしている。
・「いちばんつらいのは夏の寒さでした。そのために幾万の人が飢え幾万のこどもが孤児になったかわかりません。」「それは容易なことでない。次はどういふことなのか。」
・「次はひでりで雨の降らないことです。幾村の百姓たちがその為に土地をなくしたり馬を売ったりしました。」
・「毘沙門天の宝庫」では、「旱魃」にルビをつけようとして誤りに気付き、「ど」を消して、「でり」と改め
・生前発表形でも、旱魃の意味の「ひでり」が「ひどり」となっているところがある。

入澤氏が出してきた資料から確実にいえる真実は何でしょうか?
すなわち、宮澤賢治の脳裏に「ヒドリ」があったということではないでしょうか。
冷夏や旱(ひでり)続きで、農民は働く場所・住む場所を失くした事もあった。
そんな農民は今日の命をつなぐために「涙を流して」娘を手放したかも知れない。
娘が『児童手当』をもらえていたら、身売りせずに済んだかも知れないでしょう。
入澤氏が出した賢治の資料から、私にはこのようなシーンが浮かびます。

いっぽう、入澤氏から引出されたモノは「賢治は書き誤る傾向があった」でした。
ひとつの資料を観て、死刑判決を下す判事がいて、無罪判決を下す判事がいる。
足利事件菅家利和さんを有罪にした証拠採用は東大の権威に依るものでした。
大胆な「書」の大家であっても、マトモな楷書を書けると考えるべきですし、
ピカソだって、デッサン力はピカイチなのです。
青の時代のピカソの絵をみて、ピカソは青い絵しか描けないと考えるべきでない。
しかも、ピカソは青の時代に留まらず、抽象画へと進化しました。

また、宮澤賢治は成長する能力がない思考停止状態みたいな言い方は遺憾です。

如何でしょうか? お教え願いたいと存じます。
入澤氏の「宮澤賢治は間違いボウズ」の証拠は採用されるべきでしょうか?


(9)では、入澤氏が過去に述べた経緯をつづっているようです。
入澤氏は、その内容は「会誌・賢治研究」に載ったとおっしゃる。
それと略・同じ内容を、私たちは今・こうして読んでいるらしいのです。

入澤康夫氏の文、既に読み終えた部分で注目すべきは一点のみでした。すなわち、
『(8)「ヒドリ」が「日傭い(の賃金)」では、前後と文脈的につながらない』です。

この部分は先に述べましたように、「ヒドリ」で意味は完ぺきに通じています。
「ヒデリ」で家や田畑を失うとは限らない、それでも旱で泣く人はいるかも知れない。
だけど「ヒドリ」の状況に追い詰められると、誰もが「涙を流す」のでしょう。
賢治の中で「ヒデリ」は苦しいけれど、「ヒドリ」は一家離散に直結したと思う…。

如何ですか? 私のこの想像は、ぜったいに有り得ないモノでしょうか?
実際「有り得ない」というのが、『賢治研究』の明快な結論であって欲しい。


(10)ここでも入澤氏の論調は私の理解の範囲を超えているようです。
入澤氏は「どんな物書きでも書き誤りはする」と述べられる。
それならこそ、推敲に推敲を重ね・尚それでも誤りは起ると知るべきです。

賢治の「意図」を己の掌におさめられると考えるなら傲慢ではないだろうか。
作者の意図を己の経験値で量るのは作者を尊重する行為でしょうか?
本文校訂の責任の重さを知って、原文と異なる詩碑等にはその旨を載せるべきです。

結局、「雨ニモマケズ」に関して、宮澤賢治に些かの落ち度も見えない。
宮澤賢治の詩を改編した人物こそが非を認めて改めるべきです。
入澤氏の(10)の論旨を証拠採用したとき、私のこの結論に至りました。
私の結論が間違いである事の証明がなされれば幸いです。

尚、次のフレーズですが、トンデモナイ考えちがいをなさってる気がします。

>(本文校訂は)多くの困難をともなうものであることを、読者も、編纂者も、出版社も、ここいらで再確認していただきたいと、つくづく思う。


(11)入澤氏が述べたいことの三分の二は(10)迄に終えられたようだ。
つまり「反論のしようがない明確な学問的な根拠」の三分の二が(10)迄らしい。
だが、入澤氏が既に述べた根拠は只一つ、(8)の文脈のワンフレーズのみでした。
曰く、『「ヒドリ」が「日傭い(の賃金)」では、前後と文脈的につながらない。』

穂孕期の冠水は水稲に良いものではないでしょうが、今は問題ではありません。
水田農業に「夏の寒さ」と「旱魃ひでり」は、困ることの筆頭かも知れません。
とは言え、水争いも解決した時は笑って済ませられそうです。
すると、ヒデリの本当の恐ろしさは「ヒデリそのモノではない」となります。
それについては、(8)(9)で具体的に述べたばかりです。
「ヒドリ」の立場に追いやられた人の胸中を思えば、痛ましいばかりです。


(12)私の推測どおりなら、賢治の書き誤りとする判定は勇み足になる。
現代日本を代表する詩人」「芸術院会員」の校訂に口は挿めぬ」とか、
高村光太郎の揮毫により建立した賢治詩碑は「ヒデリ」である」とばかり、
間違いをそのまま生徒に暗誦記憶させたり、碑に刻んで後世に遺したりするのは、上に述べたような事情をわきまえずに、すでに成り立たないことが明らかになっている「ヒデリ」説や、「ヒドリ=日傭取りの賃銭」とする賃銭に重きを置き過ぎるあまりに賢治の真の思いから乖離してしまった主張になおもすがりついてはならないと思うのです。

賢治が常に念頭に置いていたのは、「ヒドリ=追い詰められ・路頭に迷い・一家離散し・離れ離れになった家族を思って流す涙」と、ここに辿りつくのは詩人なら当然であろうと思うのは私の感覚が狂っているのでしょうか…。
そうであれば、「一知半解」の者とは正しく私のことでありましょう。
雨ニモマケズ」を不適切な扱いにせず、ひいては賢治の営為の本質に対する冒涜にならぬ為にもあらためてここで強調して、明確なる入澤康夫さんの御説明をお願いしたいと思います。


(13)是が非でも賢治は間違いであり、高名な高村光太郎氏に倣って「ヒデリ」と碑に刻むというなら、碑の裏の銘板に「『ヒドリ』を『ヒデリ』に直した正当性の注記がなされることが建碑者の、後世に対する責任として不可欠でしょう。

児童・生徒に教える時も原詩は「ヒドリ」であるとはっきりと教えるべきですし、そして、どうしても言いたければ≪「じつは賢治はここをヒドリと書き誤っているのだよ。賢治だって書き間違いをするんだねぇ」と付言する程度にするべきだと思う≫という見解として、付け足すべきではないでしょうか。


14)~(33)で、「ヒデリ」に賢治が心を痛めた事が想像できます。
ヒデリ、ヒデリ、ヒデリ…何百遍、何万遍、舌頭に転がしたことでしょう。
そして次のように、入澤氏が提供する資料(16)~(19)は証言しています。

(16)それへ較べたらうちなんかは半分でもいくらでも穫れたのだからいゝ方だ
(16)耕地整理になってゐるところがやっぱり旱害で稲は殆んど仕付からなかった
(16)あんなひどい旱魃が二年続いたことさへいままでの気象の統計にはなかった
(16)どんな偶然が集ったって今年まで続くなんてことはない筈だ
(16)気候さへあたり前だったら今年は…いままでの旱魃の損害を恢復して見せる。
(18)主人もまるで幾晩も睡らないで水を引かうとしてゐました
(19)秋のとりいれはやつと冬ぢゆう食べるくらゐでした。
(19)来年こそと思つてゐました
(19)もうどうしても来年は潮汐発電所を全部作つてしまはなければならない
(19)(発電所が)できれば今度のやうな場合にもその日のうちに仕事ができる
(19)沼ばたけの肥料も降らせられるんだ
(19)旱魃(ルビ「かんばつ」)だってちつともこわくなくなるからな
(19)雨もすこしは降らせます
(19)旱魃の際にはとにかく作物の枯れないぐらゐの雨は降らせることができます
(19)いままで水が来なくなって作付しなかつた沼ばたけも、今年は心配せずに…
(19)あんな旱魃の二年続いた記録が無いと測候所が云った

これ等の資料のどこに弱気な農民の姿が見えるでしょうか。
私の目には、大いなる楽観主義で前向きに取り組む農民の意気込みが見える。
「ヒデリ」如きでくじけて泣くような弱虫に、百姓仕事が勤まるだろうか。
どんな「ヒデリ」にも耐えて、打開策を講じて生きる懸命な農民たちなのです。
極限に置かれても、なお、次のように強く祈る姿が見える。

(16)いったいそらがどう変ったのだろう。あんな旱魃の二年続いた記録が無いと測候所が云ったのにこれで三年続くわけでないか。
(25)そしてその夏あの恐ろしい旱魃が来た
(26)この湿気から/雨ようまれて/ひでりのつちをうるほせ

その祈りも届かず、打ち続く「ヒデリ」に、農民の生活環境は激変します。

(16)父は水田一町一反畑地一町三反と、林三反歩原野一反歩母屋外三棟を有する自作農。前二年続ける旱害のため総て抵当に入れり
(18)みんなは毎日そらをながめてため息をつきました。

もはや、ため息を吐くしかない所に追い込まれます。そして、
(22)さびしい不漁と旱害のあと、
(23)みんなはあっちにもこっちにも/植ゑたばかりの田のくろを/じっとうごかず座ってゐて/めいめい同じ公案を/これで二昼夜商量する…

商量する:売り手と買い手が腹をさぐり合い・値踏みし・相談し・交渉する。
なにを交渉しているのか、私は解かりませんけれど…。

(28)で入澤康夫氏は次の詩を紹介なさいます。

●詩「発動機船 一」
 …あの恐ろしいひでりのために みのらなかった高原は
 いま一抹のけむりのやうに この人たちのうしろにかゝる…
 赤や黄いろのかつぎして 雑木の崖のふもとから
 わづかな砂のなぎさをふんで 石灰岩岩礁
 ひとりがそれを運んでくれば ひとりは船にわたされた
 二枚の板をあやふくふんで この甲板に負ってくる

「この人たちのうしろにかゝる…」借金のカタに取られたのは?
恐ろしい「ヒデリ」を乗越えた親といえども、
娘たちのことを思っては涙を流すに違いない。


さて、入澤康夫氏の資料をここまで読み進んできて、私の結論は出たようです。
入澤康夫氏の論稿を読み間違えていなければ、私の危惧どおりでありましょう。
宮澤賢治の書き間違いではないとは、決して断定するものではありませんけれど、
「ヒデリ」に改変しなければならない根拠は入澤氏の論稿のどこにも見つかりません。

すなわち、「ヒドリ」は誰かの好み・感覚で変えられたという事になります。
その誰かが宮澤賢治を軽くみて手直ししてあげたとまでは申しませんけれど…。
賢治の中で「ヒドリ」は重いフレーズだったのか、軽いフレーズだったのか?
私の疑問は、あくまでも入澤康夫氏の論稿に起因したものと申し添えておきます。

ここまで読み終えた今、私が感じるのは、
宮澤賢治に関して予備知識を持たない私が「ヒドリ」の重みを感じたのは入澤氏の論稿に依ります。
ゆえに、これらの資料をまとめて下さった入澤康夫氏の貢献は大きいと思いますし、感謝申します。

拝。

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入澤康夫氏のプロフィール】
入澤 康夫(いりさわ やすお)氏は1931年11月3日生れ・島根県松江市出身の詩人、フランス文学者、日本芸術院会員。

東京大学文学部仏文科卒業。1955年、在学中に詩集「倖せ それとも不倖せ」を出版。詩論集を多く発表し、実作のみならず理論面でも多大な影響を与える。宮沢賢治、ネルヴァル等の研究でも名高い。フランス詩の翻訳も行っている。2008年芸術院会員。

(主な経歴)
明治学院大学助教
東京工業大学助教
明治大学文学部教授
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★★★
上記、氏のプロフを拝見するに輝かしい経歴です。
明解な解答を論に知ることが出来ると考えたのですけれど、結論が死刑と無罪に別れたことは残念です。

未完/雨にも負けず