進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

配剤か? 采配か?ⓗ

天の配剤をもう少し見てみよう。広辞苑には「(天の配剤は)人の資質などにおのずから調和がとれていること、また、あらゆる物事が適切に配されていることなどを、造物主のしわざと見なしていう語」とある。即ち誰にも世界は平等に出来ているってことです。これで誰にも不満がない筈です。 同じく三省堂/新明快国語辞典「とても偶然(人間わざ)とは思われないほど、世の中や運命がうまく出来ていること」とある。表現は異なるけど世界は誰にも平等に出来ているのです。インターネットで更に調べると違うのがある。なんと「善には善果、悪には天罰」です。善/悪/罰って何なの?

「罰」の意味を辞書が知らないのなら悲しくも恐ろしい。知っていて書いたなら邪悪の確信犯。天罰は「天の采配」を振りたい権力志向の者を喜ばせるだけ。賞罰は平等だろうか?勿論、善悪にも平等性はない。つまり不平等な世界を目指す邪悪な思想がインターネットの中で息巻いているのか!? 「配剤と采配を誤まって日本人に憶えさせてどうする」と言う私は日本文化の伝承者のスタンス。それなら誤まって憶えさせる者の文化はドコだ?天罰=キリスト教文明圏に違いない。強者の言葉が最優先される文化。強者と云えば罪にされ、免罪と云えば罪が無くなる不平等な文化。いかが?

誤解の無いように確認しておくが、ソレゾレの国家の進路はソレゾレの国民が決めること。即ち私が言う邪悪は日本の文化に照らしてのモノ。ある国が悪魔崇拝を選ぶのであればそれはその国民が選んだ進路・文化で自由です。日本での悪魔崇拝を私は認めないと言っているのです。 世界は染まる。だから石も水も空気も染まる。同じく生き物も染まる。鳥は産まれて最初に目にした者に染まって仲間・家族と思いこむ。あなたも私も染まり、命も染まる。を知らずに染まるのです。何に染まるかで進む進路は定まる。その進路に則って進むとき仲間から受入れられる。

桃太郎の集団に入れば何も考えることなく鬼退治に向う。尤も猿犬雉の知恵は己が生きることだけに使われる。宮澤賢治を貶める思想・集団に所属すれば人間を貶めて・反省できない心に染まる。それはオームに参加して訳も分らずにサリンを撒いたような感じかな。それで私たちはどうする?黙って見ているのが良いのか?肝心のことに触れずに仲良く過すのが良いのか?それなら私のように注意を喚起するのは駄目なのか?人間性を信じて語り掛け・問い掛け・対話しようとするのは駄目なのか?もしか、あなたは無駄だとお思いか?人間は信じるに足りない存在だと見るべきなのか?

人間を信じない人・集団は注意喚起せず、語り合おうとせず、疑問を解こうとしない。お分かりだろうか?宮澤賢治を貶める根拠をどうして述べない?賢治を貶める集団は人間を信じない心。過ちを直すより、人を罰することに熱心になる。遂には天の配剤を捨て、天の采配の実行集団と化すか? 私たちは人を見下し支配する思想・信仰に取込まれてはならない。他人の欠点を探して貶めるのは采配するのに都合が好いかもしれないが、それは自分自身を貶めて構わないと宣言しているのと同じこと。あなたの伴侶・子供を貶められるのはイヤでしょう?明日は我が身‥は悲しいですね。了。

配剤か采配か  未完/雨にも負けず