進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

配剤か? 采配か?ⓝ

care(ケア)について私の感覚を2遍述べた。それで世界はケアをどう捉えているのか?書評「ケアするのは誰か?」を「twitter/読書のページ 」に見つけたので下敷きにさせていただく。本は難しそうだし・時間も掛かりそう、なので今回は書評に学びます。評者-名古屋大学(政治学)の武田宏子教授。

政治学者の教授のスタンスはケアを民主主義・政治問題と捉えて不思議はない。そして私はそこの市民。政治に無関心ではないが、私は市民としてどう振舞うかを第一義に置くことになる。民主主義社会の長所は誰も傍観者にならずに済むことだ。すなわち政治と市民と連携したい私は日本人。

もちろん日本は民主国家であれば誰一人も日本の文化を受入れる義務を課されない。私の文化は日本の「天の配剤」に染っている。そして誰であっても天の采配に染って構わない。配剤は他者を支配しない思想であり、采配思想は日本で他者を支配できないが、ご自分を縛るのはご自由なのです。

ケアについて他者との係わりの重要性をお述べのようだ。政治は公助を担い・社会は共助・そして自分は自助という感覚は私も分る。公助は義務、共助・自助は思いやりという感覚も分る。結局、ケアには義務と思いやりの2種ある。そしてケアは必要が満たされて完了することにも納得できる!

私的には公助は最低限が善い。この最低限の保障の担保に所得税が考えられる。共助によって災害・事件の減少を期待したい。自助によって面白い暮しが出来る。共助と自助の連動で誰もが豊かな暮しを望める。公助で最低限の暮しが保障される。私の猫星の憲法の全体像はこんな感じかな🐈

「政治こそがケア実践にのりだすべきだ」という感覚はアメリカ・西欧に共通するかもね。黒人が率先したら酷い目に遭わされた歴史を思い出す。ローザ・パークス女史は公民権運動で迫害されたし 酷ければ撃ち殺されるからね。その点、私たち日本人は何でも自由に出来る法律を持っている。

この素晴らしい法律を有難く思えるのは私が天の配剤を信じているからのようだ。天の采配の信者は他人(の名誉)を護ろうとせず・人間を誹謗しがちのようです。法律を守ることで悪党が動けなくなるというロジック(論理)が理解できないのかな。人を信じる人だけが法律を守ろうとするようだ。

ともあれ、米国では法律が換わっても人は付いていくのだろう。如何にして法律を変えるか?米国の救いは約束を守ろうとする文化が根付いていて、その為の話し合い文化も十全に機能しているのを感じる。話せば分る⋯米国の文化。あなたのはどうか知らないが、私の文化も「話せば分る」です。

著者・岡野八代氏の言い分はよく分る。分るが私は喜べない。その根拠⋯政府が・社会が・国民がその方向で動き出すまでボーッと待っていたくない。棚ボタを食べたことなく食べたくもない。仕事があれば社会保険に縋りたくない気持ちが私は強いのです。ま、新型コロナ絡みなら仕方ない。了


神対応大人対応か  care