進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

ボランティア(5)


モンゴメリー女史は小説「赤毛のアンを著してアンの現実を世界へ向けて告発している。映像はその真実・事実を分りやすく人々へ伝える。アンの現実は弱い人たち全てに通じる真実であれば、誰一人も避けることの出来ない事件に遭遇する事実を覚悟しておかなければなるまい。犯罪者・乱暴者・とんでもない奴が虐めるのではないと私の哲学は教えてくれる。あなたはお分かりだろうか?あなたを害するモノのの正体を⋯です。そいつは往々にして正義の刀を振り下ろしてするという名分の下に、あなたを誅する形式を採る。あるときは非国民と罵り・ある時はトラブルメーカーを諌めると云い⋯etc.

ケンカに慣れろ❶で私は散々述べたが、その点でモンゴメリー女史と私は似ていると思った。女史はアンに魅力らしい魅力を何も具えさせていない。ドン底からスタートするアン。このドン底のアンにも只一つ「」を求める術(すべ)がある。モンゴメリー女史はケンカ相手を次々に登場させてはアンにぶつける。女史の真実はケンカに顕れているのが見えるが、あなたはいかがだろうか?住む土壌が異なるから個々人で対応は異なる。それにしても喧嘩は誰とするべきか?ケンカ相手の正体は?係わり合いにならないように動く者たちはケンカできない。と言うか、喧嘩のチャンスを自ら放ってしまっている⋯と私は思う。

その点、アンは幸せ者だ。幸せ者でなければを得ることはない⋯かもね!? 世界の文学全集のどれを取っても、幸せ者だけが愛を得ているみたい。不幸な者が愛を知ることはない。愛は落ちているモノでない。愛は奪いとれるモノでない。愛は貰えるものでない。ナザレのイエスは愛を全ての人にあげたと私は捉えている。ところが愛を授かった皆が幸せになっていない現実。私はそう観た。即ち私の哲学では「愛は貰えるものでない」と導かれる。そんな世界でアンは幸せだ。幸せ幸運は異なるよね!?ナザレのイエスも幸せだったけど、幸運ではなかった。だけど見た目・アンは喧嘩してただけジャン??

アンにはを求める術があったからね、アンは愛を一途に求めたのと違う? 愛を求めている積もりの人は多い。この点でアンは多くの人と異なる。アンの「一途さ」は一往モンゴメリーが与えたモノだが、事実はどうなの?モンゴメリー女史に具わる一途さはどうなの?女史の一途さは疑いようがない。愛の種子を芽生え・開花させるために一途さはどうにも欠かせない作業と言えるのでないだろうか?小説「秘密の花園」の園丁の役割りも同じ。アンの中の秘密の花園を世話する園丁も絶対に欠かせない。女史も園丁から幸せを得た。アンも園丁から幸せを得て愛を手に入れた。難しい?

草花も野菜も園丁の選り好みを許されない。園丁との出合い偶然・必然のどちらでもい。モンゴメリーもアンも園丁の選り好みを許されない。私も私の家族も選り好みしない。(念のために言えば)あなたは人であれば、選り好みする権利をお持ちです。ともあれ、アンも園丁の手で育てられる。育つことはナニよりも素敵で幸せです。あっちこっちの家をたらい回しにされ・福祉施設に入れられ・いろんな園丁の好みの儘に弄(いじ)くられ・いろんな癖を付けられながら育っていくアン。元来・人の児は一つの癖(=家風)に染って社会へデビューする。アンは是の不足を価値転換することになる。

ボランティアとして園丁・畑作業に携わる人も多いらしい。了。