進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

ボランティア(6)


もう少しだけ赤毛のアンを引用します。産みの母の温もりをどこかで記憶しているアンという設定なら一途に求めつづけられる。母の温もりに準じた温もりを得て愛を求めることもあり得る。そのような温もりを知らない儘に世間をたらい回しされたら…つまり幸せを知らないに社会へ放り出された子は苦労を乗越えるのに一苦労しそうです。私が住む関西の地でも30年ほど前は養子縁組させるよりも乳児院児童養護施設で暮らすほうが幸せという空気が強かったのを憶えている。金持ち・権威の家庭に引取られるなら別だが、裕福でない家庭に引取らせない空気の強さに、貧乏は不幸の原因という思想を感じた。

貧乏は悪という歪んだ思想は今も文明国を覆っていて、利害・善悪の価値観は文明国で生れた思想であっても是は資本主義の否定でない。資本主義に科学性を観る私の哲学は資本主義思想を生かして使うのが好いと導く。資本主義だけでなく何ごとに於いても、長短・善悪・能所・上下・終始・収支などの両面から捉える姿勢が具わる所に健全な思想・社会は担保される筈。 赤毛のアンが放り出された所も貧乏を悪・不幸の原因と見なす複雑怪奇な世界になっていて、そこで待ち構えるモノはアンを邪魔者・除け者・排除しようとする邪まな思想! それで一途に愛を求めつづけるアンの強さ正直さの根源はナニ?

ここで「強さ・正直さが具わるのを人間と言う」と正論を打つのは簡単だが、具わった強さ・正直さはアンの言動に見えても、他の人たちはどうなってるの?いや、それよりアンを真っ当に見られない人たちの「強さ・正直さ」はどうなってるの?複雑怪奇な世界に負けて引きずられての自分自身を見失ってしまったみたい。人間・アンを罵り・貶める低劣・下劣な思想に染まってしまった者たち。この状態に堕ちている者を私はルサンチマンと言う。人間だけが陥る地獄・ルサンチマン。そこは知能面で野獣より僅かに優れた部分を以って傲慢に過ごす者の棲み処。己自身の神性に抗う術なく僻み・怨む・卑しい心。

哲学者ニーチェは「超人」の概念を想像したみたいだが、旧約系の「」を脱して仏教系の「」へ近づこうとした?近づきたければ難しいことはなく、己の神性に正直に頭を垂れるだけではないか。ところがこの簡単な切り替えがルサンチマンには難しい。その点、アンは己の神性を辱めなかった。恥かしい思いを神性にさせなかった。己心の神性を辱めないために苦難に立向かい・戦い・乗り越えた。他者に貶されることをアンは恐れないが、神性を裏切ることをアンは恐れた。アンを信じる人以外はアンを貶しても、アンの心の中は私にも見えないけれど、アンの言動を神性は愛でて受容れている。

私には誰の評価が大事だろうか?あなたには誰の評価が大事ですか?ボランティア活動にも評価が付く。ボランティア活動の評価があれば刑務所収監を逃れる法律も諸外国には多いそうなです。こう哲学してきて、アンを信じたアボンリー村に暮らす人たちは誰から評価を貰えただろうか?アンを幸せへ導いたアボンリーの人々です。それと村人を幸せへ導いたアンです。国からの評価は無くても、信じない人たちからの賛嘆は受けられなくても、幸せを得た人々は愛を贈ることが出来るようになった。愛と幸せ・・・今回は特別に分けて哲学しておりますけれど、普段は殆んど気にせず、同じように遣っております。

ボランティア活動を自慢する人は滅多にいないだろうけれど、人々の幸せを祈るところに愛は充ち満ちているのではないでしょうか。今回はココまでです。 了。