進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

愛するとは


この俳句を橋本多佳子がどう位置づけていたか私には分らないが、著者が公開しなかったモノを私は慎重に丁寧に扱いたい。つまり、許可なく橋本多佳子の心象に踏み込んでいるのは明らかで、私はその神聖な空間を土足で踏みにじってはなるまいと思う。例え善意からであったとしても非公開の他者の詩の品評を行って、あろうことか、「瑕疵を見つけた」と嬉しがって騒ぐのは詩人の姿勢と言えないからです。間違いか・間違いでないか、それさえも分らない未熟な知識を振回して「作者はオッチョコチョイだ」等という暴言を私の管理下では誰にも言わせない。

生前は懐に入れて大切に持ち歩いた言葉(詩)だと私は想像している。勿論、俳句として最高の作品に違いないとも思っているのです。こんなことをどういう意味で述べているかと言うと、どんなに素晴らしい最高の作品よりも大切なモノがあるでしょう⋯ってことです。それがこの二句一章の俳句に顕われているでしょう? 雪の日の浴 身一指一趾愛し。専門用語では「二物衝撃」というようですが、前半の言葉と後半の言葉がぶつかってその衝撃波で私のなかで宇宙が揺れ動く。これは私の感動を述べているのであって、あなたの感じかたは知らないよ。

前半、聖なる世界が窺がえる。聖なる世界に同化しようとする浴。私はどのように同化するべきか?橋本多佳子は前・後で事実を述べているように思う。そして衝撃波のなかに私が見たのは⋯「身=橋本多佳子、一指=一子、一趾=一子」を大事に大事に愛している真実。己を愛し、子供の一人ひとりを愛する。その愛は聖なる世界との一体化にちがいない。そのお手本を愛嬢に示す母親の日常はあなたの姿とも重なるのではなかろうか。なにが大事と言って、名誉・栄誉・権威なんかじゃない。そんなモノより大事なものを持っている・知っている詩人・橋本多佳子。

愛とは・愛するとは、佳いお手本になろうとして生きる姿そのモノ(=事実)かも知れませんね。私が橋本多佳子を尊ぶ根拠を少しでも述べられているでしょうか。