進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

誰にも愛はある(後)

橋本多佳子の句を「祭笛吹くとき男 / 佳かりける」と二つに分断してみました。前半から観てまいります。近年は普通になったギャル神輿だが、これが最初に登場したのは1981年(昭和56年)で、橋本多佳子(享年1963年)が過ごした時代に神輿を担ぐ女性なんて想像もできなかった。今日の祭典はパラリンピックが示すように男女の別なく誰もが参加できる配慮がなされている。祭典に関わる人は脚光を浴びて男を上げ、女を上げるのはあなたもご存知でしょう。体力がない私は男を上げようと思わなくても、大概の男性にとって祭笛を吹くときは男を上げる絶好のチャンス! 

次いで後半。佳かりけりと想ってもらいたい男がいる。佳かりけると想いたい贔屓がいる。それはそうです。無意識な想いとしても「私が好きなあの人が男を上げてて素敵だわ」と、誰かにそう想わせたくて男になろうと頑張れるのです。贔屓⋯例えば親、例えば子、例えば伴侶、例えば恋人、例えば同僚・先輩・後輩たち。そうした贔屓の「男を上げさせたい」想いが声援となって声に態度に表われる。出来ることならトップに立ってほしい。出来ることなら神輿に触れさせてあげたい。そうした想いは人間であれば誰にでも・あなたにも・私にも具わっている筈の「愛」に違いない。

もちろん、愛といっても様ざまで、上に挙げた例は「己を計算しない愛」ですが、「己を省みない愛」もあれば、「他者を引きずり落として奪おうとする愛」もある。そうした色々の愛に想いを致すとき、世の中の様々な「佳かりける対象」を知り、その複雑な気持ちをしみじみと感じとっている橋本多佳子だったとも私には想われる。私に於いては確実にそうですし、あなたもそうでないのかな。仮に「佳かりける俺」と想っている男であれば、彼はヨガリケルお人なんだろうな。橋本多佳子は独り善がりして悦に入ることなく己以外の誰かに愛を注いで生きたように私には感じられる。