進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

莢の重圧

今朝の連ドラ「スカーレット」で、八郎は喜美子を捨てて出ていった。八郎の行為に唖然とした人は多いかも知れないが、「然もありなん」と私は思った。莢の役目は人を護ることなのに⋯八郎は莢の中から喜美子を取除いて去った。莢たる自覚がない男(八郎)が流行語(≒永遠の愛)で愛を誓っても社会の状勢次第で乗りかえる。流行の波のなかで暮す八郎にとって最第一は流行・社会状勢であり、妻の喜美子の役割りは刺身のツマ⋯妻が無ければ世間体を保てなく、実際、妻を捨てた八郎だ。

「私は刺身に付いてる野菜は食べます」って、そういう話ではない。刺身のツマでも食べる⋯それなのに人間の妻を捨てるってどういう事? もしかして「俺の命令に従わない奴隷・喜美子をしたのだ」と、八郎が言えばあなたはお分かりになりますか?奴隷は主人に忠実であらねばならない。それで妻は主人に絶対服従しなければならないだろうか?つまらない男・八郎を夫に選んだのは喜美子であり、喜美子と八郎は似合いのカップルだったに違いない。似合いの悪いカップは互いを傷つけ合うのです。

私が入る莢(さや)は誰のが好いだろう?私(=莢)が護るべきは誰だろう? 太宰治は太田静子母子の生活費を考えた。それを己の財布から工面する理屈が立たなかった。そう考えるとき、太田静子の「斜陽日記」の真価にそれ相応の価格を付けさせてあげたかったことに納得できる。世間の目は「斜陽日記」の価値に気づくことはない。日本の文壇は女性の作品を受入れない。流行の波に乗らなければどんな作品も受入れられない日本社会という歪んだ莢の中に産まれた私たちなのです。分りますね?

莢の重圧から逃れたい気持ちは分るが、その気持ちを当然とするとき、私は「私の子孫は重圧の犠牲者になりなさい」と言って子孫を呪っていることに気づくが、これは私の考え違いだろうか?己の子孫を呪っている者が世間を呪い・憎み・嫌うのは筋違いと言うしかなくて、私は己の罪を深く反省しなければならない筈です。そんな私が救われ・幸せを望むなんて⋯いかが思われますか?狂った伝説が社会に渦巻いているなら、その狂いの原因を確認し取除かねばならず、僻んでいる暇はない。

さて、悪因が一つ取除かれて、喜美子の人生は新たな章へ入っていくのでしょうね。