進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

青霊の青/

どんな生物・生命体も己の感覚が捉えた世界を味わい・生きる。感覚は個体ごとに異なり、場所ごとに異なり、しかも時々刻々変化するようだ。これは私の感覚が捉えた世界観ですが、あなたも私と同じように捉えているかも知れない…断言はしません。たとえばに感じるモノも様々のようだ。それでここでは先ずを含む言葉「青年の樹」に触れたい。TVドラマ「青年の樹」の主題歌にもなっている。その歌詞で石原慎太郎は希望・夢・熱き心を詠っているが、私も同じ想いだ。

その点、西欧はどうだろうか。西欧を偏見の目でみる気はないが、「ブルーな心」は明るくなくて、小説の「青ひげ」は妻を何人も殺している。そこから私には危なっかしい未熟な男が浮かびあがってくる。じっさい未熟な青年であっても私は未熟さ・危うさに注目するのでなく、若さゆえの未来性を謳う姿勢に共鳴したいと思う。「分け入っても分け入っても青い山」これは山頭火の句。山頭火の想いも生立ちも知らない私の読みかたは「青雲の志」を想うことになる。

「青雲の志」の原典を検索すると中国唐代の詩人のモノとある。時代性を考えるとき群雄割拠する英雄たちが尊敬されたと分る。戦国時代・下剋上が健全な感覚と受取られた土地・社会・時代であれば男は覇者を目指して当然であり、それであってこそ家族・一族・集落を外敵から守ることが可能となる。雲の高み・雲の更に上の青い空の高みを目指す昇龍でなければならなかった時代の哲学が「青雲の志」だったに違いない。狼なら狼王ロボに憬れて健全なんだと私は思う。

野獣の時代が開けたら次にハンムラビ法典の時代が訪れる。ハンムラビ法典の時代を卒業した人は平和の哲学を求めることになる。それで「青雲の志」をどう読むのが現代の私たちに似合うだろうか。弱い者イジメする人は自分が酷い目に遭わされても構わないと宣言しているに等しい。卑劣な人は自分が卑劣な目に遭って構わないと言っているのです。そうではなく真面目に生きている人は他者から正当に扱われる資格があるだろうな。正直な人は幸せになるべきだし…。

未熟であれば失敗もする青年時代・青春時代…「だから駄目なんだ」の哲学も分らなくはないが、未熟ってことは伸びしろが大きい道理。失敗せず小さくセコセコ生きてたら伸びしろは殆んどないが、失敗した事実には大きい伸びしろの真実を期待できる。失敗を許さず罰したい気持ちも分らないではないが、「罰する哲学」には行詰まりが見える。失敗そのものが罰と知れば、更なる罰則でムチ打つよりも失敗しないよう教えるのがスジだ。現代はもうハンムラビ法典の時代と違う。

ま、私の家庭はその方向を善しとするも、他者に押しつける訳にまいりませんけれど!?