進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

考・ナショナリズム③

日本文化は共感重視」の感覚をあなたは否定なさらないと思いますし、nhk「ナショナリズム」の登壇者の皆様も肯定なさると思うが、もちろん私も肯定します。それで今回はこの「共感」について考えます。共感している時間は気分好く居られて、ホント幸せですよね。だからでしょうね…私たちは共感できる関係が大好きだし・いつまでもそうして過ごしたい。この共感の心に哲学的見地から「」を与えたいと思うのですが、「」には「命題」が必要ですし、しかし「俺には関係ない」とお思いなら命題もヘッタクレもありませんから、この交さ路で道を別つことになるのでしょうね。( ゚Д゚)

共感には「仲間」が欠かせませんし、ここのお題は「ナショナリズム」ですから「世界」も設定したいと思います。それで「共感する仲間」と「共感する世界」を考えたいと思います。鰯の例で言えば「共感する仲間は鰯」で、「共感する世界は鰯玉」です。こう展開してきて私は「鰯で不都合ない」と導かれた。そうであれば最初に述べた「日本文化は共感重視」は偏見に過ぎると言う事になる。だったら「生物の文化は共感重視」とすべきでないか?況してや「人類はなべて共感重視」となる筈です。共感の大前提が生物なら、日本の文化が共感重視なのは推して知るべし…ですからね!?

生物は共感する場所で受粉・受精して仲間を増やす。己の仲間が絶えないよう頑張って頑張って増やそうとする生物群だろう。仲間の数が限界に近づけば絶滅を避ける目的で仲間の数を減らそうとする働きが強まりそうだ。自殺したり・次世代を産まなくなったり・女性だけが減少したり⋯こう言ったことは・そして現実的な対応は「高等な思想/宗教」に基づいて、科学データを生かすのがイチバンだろうな。歴史を観るとき、劣悪な思想/宗教」は敵視した者を排除する手法に奔ることしか知らなかったようです。あなたは互いを排除し・排除される低劣なナショナリズムで好いだろうか!?

ここでのキーワードは「共感」です。それでnhkいじめをノックアウト」を引合いに出して考えたい。引合いに出した時点で(私が)日本の常識から外れたのはお分りでしょうか?「nhk/ナショナリズム」の登壇者の方々は常識擁護派だと思うし、nhkも常識擁護のスタンスだと思うが、いじめをノックアウトのMC高橋みなみ氏はnhkの意向に随うしかないだろうし、だったら私は、高ミナが常識の範囲の回答しか許されていないと受けとめてあげたい。ひとつ、私に言わせるなら「イジメ問題が日本の常識で解決できますか?  これは高ミナに問うのは酷だから、私はnhkを追及しているのです。

偏見に陥ると人は片方だけを擁護したくなるみたい。片方だけ擁護するなら?そりゃあ勿論、共感したいほうを擁護するでしょうね。格言身内の身びいきと言うが、親しくない人を誰が贔屓(ひいき)するだろうか?それが分っているから私は「引合い」に出して公平を期すようにする。苛められてる子の母親なら「かわいい私の子どもに何してくれるの?」となる。しかし私は当事者でないからドチラにも肩入れしないスタンスを採れる。審判の立場にあるMC高ミナに依怙贔屓(えこひいき)させて好いだろうか?依怙贔屓されなかった側を公開処刑私刑しているようにも私には見えてならない。

誰かを処刑するなら、罪の所在を明らかにすべきです。被告に反論・発言の場を与えることなく切り捨てるなら、それを苛めと言う(のでないか?)。高ミナに苛めの片棒を担がせて良いだろうか?私には苛めのグループに引込まれて苛めさせられている高ミナに見えて可哀そうでならない。これが私の杞憂(きゆう)でなければ良いが、世間の誰にも誤解を与えない配慮が必要に思えるのです。ま、私の思想/宗教は「もの申す破折(はしゃく)下(げ)」を善き手段とするから斯様に述べて糾(ただ)すことにもなりますが気を悪くなさらないでいただきたい。今回はココまでとします。了。