進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

考・ナショナリズム⑤

これまで述べてきたように「道は目的」でもあるが、文字どおり「走行する道」でもあれば、道で立止まっていたら事件・事故をも引き起す。この程度は鰯でも知っているロジックであれば、鰯玉のなかで立止まっている低能な鰯を観た者は居まい。だからこの事実をどう理解すべきか? (私的には)道は目覚めて愉しむ所であり、安眠用には立止まれる安全地帯(お城のなか)をお勧めすることになる。もっと言えば道は世界へ開かれている。道で声を挙げれば世界中が聴いていると知るべきで、仮令それが寝言・独り言でも「他人には関係ない」と言って知らぬ顔で済ませられるモノでない。この思想/宗教に寄るとき、あなた一人の価値と世界全体のバランスも取れる。

世界へ開かれている道であれば、あなたの頬をつたわる雫(しずく)も大海の端くれ!私を・あなたを中心軸として世界中の水が回っている。すなわち、世界が主体者をめぐっている道理も見えてくる。流木となって世界をめぐらされているのは…映画「道」の可哀そうなジェルソミーナだったが、そんな運命に流される受け身の生き方を選るのか?あるいは目覚めた意識でをシッカリ見て進む主体者の生き方を選るか?そんなことを私(=須梨槃特)は考えてしまった。どんなナショナリズムにすべきか?大海も世界も包みこむナショナリズムか?あるいは金塊の入った重たい金庫を抱いて過ごしているナショナリズムか?どちらを選るもそれはあなた!そして私!

「考・ナショナリズム」は今回で了とします。どなたもまことに有難うございました。拝。