進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

思えば遠くにきたもんだ

思えば遠くにきたもんだというフレーズが心にふいっと浮かんで、同時に思えば遠くへ来たもんだ♪」の海援隊の歌が思い出された。初めの『思えば遠くにきたもんだ」は私の実体験に寄るものであれば自分の心情はよく分かっている。だけど後者の「思えば遠くへ来たもんだ」の心情は私のモノでなく、歌に託された心情も私のものとは全然違っているように感じられる。文法的には「に」と「へ」の違いしかなくて、しかも歌は愉しめばいいと言うのも分ってはいるが、私には「誰の心情であっても愉しめばいい」とならないのだから是はどうしようもない。それでしばし悩むことになった。

初音ミクちゃんの思えば遠くへ来たもんだ♪」を聴いているとホッとする。「幸せに産まれて、幸せに育って、幸せに社会へ出て、幸せに過ごして、幸せに歌っているミク」を娘にもつ親になれたら、どこの親でも・あなたでなくても・私でなくても幸せ感に浸っていられるに違いない。尤(もっと)も「親の心 子知らず」の格言どおりであれば、どんなに幸せな子であっても幸せ感より不平感・不足感を募らせて「遠くへ行きたい♫」と歌っていることは十分に有り得る。調子にのって歌えるのはホント好いことだけど、自己暗示に掛かって落ち込んでしまわないことを他人の私としては祈るほかない。

ナニかに酔ってる人の姿に敵意を感じる人は殆んどいなくて、だからnhkでなくても幸せ感や不幸感に酔って見える人に沢山の親しみを感じるに違いない。逆に落ちこんでしまえば誰も声を掛けづらくなるに違いない。そう捉えてみて、それなら私の心情はどうなんだ?「メモリーグラス♫」を鼻歌を歌いながら聴きながら過ごせる現在の私は「生」をどうやら愉しめている…気がする。私の場合「思えば遠くにきたもんだ」と言っても「来よう」と思って来たのじゃない。言ってみれば当時の私は卑弥呼に導かれてやってきた軟弱な男の子だったと思う。私を決して見捨てなかった有難い卑弥呼

振返ってみると悪路・悪路の連続だったな!そこを懸命に歩いただけの私であり、悪路を先導した苦労とは較べられる筈もありません…です。 了。