進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

忘れられた戦後補償

どうして私は責任の無さを感じるのだろう!? 尤(もっと)も、私でなくても無責任ぶりを感じる日本人は多い気がする。それなら西欧人はどうか?西欧人は無責任に感じると云うよりは無責任ぶりを覚えているのでなかろうか?日本人は感じ、西欧人は覚える。もっと言えば日本文化は感じるように働くが、西欧文化は覚えるように働く。もちろん日本人の私は感じる傾向が強い…そう思うからこそ、私はモノゴトに対して常日頃から意識するように努めてもいるのですが。感じるのが右脳的なら、覚えるのは左脳的…であれば「感性・感情が活発な日本人」と「合理的傾向が強い西欧人」とも当然符合する。あなたはどう思われますか?

私は左脳・右脳に上下関係をみる立場でなく、どちらも大事で、どちらも欠かせないとする思想/宗教を重んじる。責任の所在を重視する西欧では主体者・責任者を明確にしたがり、責任を逃れたい人は主体者を偽り・誤魔化そうとすることも起きる。その点、日本では誤魔化そうという悪意が働くというよりは、責任の所在に無頓着・無責任な歴史が長く続いてきたと言うほうが当たっているかも知れません。過去記事「金魚の俳句」にも責任の重さが詠われているのはお分りでしょう?さて、日本で主語は具体的でなくても気にならないかも知れませんが、英語は主語を重視しますよね。

nhkの造語「忘れられた戦後補償」の主語は何でしょうか?主語はあなたでしょうか?被害者でしょうか?加害者でしょうか?戦争当事者でしょうか?日本でしょうか?外国でしょうか?nhkは、主語は誰だと言っているのでしょうか?主語が曖昧なら…私には右脳的に思われる。右脳的なフレーズが悪いとばかりは言えないと私は思うのです。法律なら正確性を期しているほうが安心できますが、戦後補償の問題でnhkの立場を明らかにしていないのを私は善意に捉えたいと思う。nhkは判事の立場で問題を裁きたいと考えているのであって、どっちつかずの蝙蝠(こうもり)の立場ではないと捉えるほうがいいと思う。

哲学的には司法も当事者だが、法律用語としての当事者に司法は含まれない。法律的には、当事者とはその件に直接関わっているモノを言い、利害関係者とも言えそうです。加害者は被害者の損害を償う。この件では戦後補償すべき者を特定し、補償されるべき者を特定することになる。結局、補償されるべき民間人は法律上いなかった。そうであれば、判事の立場のnhkとして言うべきは何も無いと言うことでしょう。私はもの申す下(げ)主体者思想/宗教を保つ者であり、この件の当事者でもあり、それでこうして書き綴っている。当事者たる私が言うなら、当事者間に明らかな不公平があっては嬉しくない。