進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

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フィードバックコメントは異なる…このようにも荒木博士は述べておいでだ。すなわち、「コメントはプレーに直接関係ない発言」を指す。フィードバックとコメントが是ほど違うものなら疎かに済ませてはならないと私は感じる。この点、あなたの反応は如何だろう?感じ・反応するように産まれついている生命体にちがいない…私はそう思う。例えば、触手に触れた物に感じ・反応して刺す海月(くらげ)だし、尻尾を踏まれたと感じて反応して牙を剥く蛇や猛獣だし、あなたにしても誰かに悪意を感じたら幸せな反応ができないのでなかろうか!? このように感じ・反応する仕組みに人は産まれついている。

このことで私に最近思い当たるのがnhkの一連の番組、「いじめをノックアウト」であり、「忘れられた戦後補償」であり、「東京裁判」であり、「フェイク・バスターズ『ひぼう中傷被害』を減らすために」であり、あるいはラグビーの試合中、私が贔屓する日本に暴力を振るう相手チームの選手⋯だとか、数えあげたらきりがない。いずれの場面でも私は直接の当事者でなく、痛い想いを少しもしてなくて、だから気楽に構えていられても、当事者には我慢できないことぐらい私にも分かる。3倍返し・10倍返しして恨みを晴らしたい…こんな被害感覚は原生生物だった時代を経て現代人に伝わったモノでしょうね。

被害感覚・被害感情の善悪(価値)については今は横に置いて、<目的>はドコなのか? 今(現在)を生きるだけの生物は目的価値を見ない。過去から受け継いできた情報に則って眼前の獲物を喰らい・眼前の嫌悪を攻撃し・眼前の好感に集り、そうやって今(現在)を過ごすのみ。今を過ごすことの意味はナニか?石でも雲でも今を過ごしている。主体性のない無機物は今を過ごすのみ。それと同じく今を過ごすだけの有機物で在りたいという想いが強まって「私は貝になりたい」と願う人がいて、その心情は私にも分る気がする。但し、その感覚を受入れ・後押ししてあげる気持ちを私は受入れない。

さて荒木博士は、フィードバック目的(未来)を見ておられて、コメントには今現在を見ておいでだ。例えば小鳥の美しいツイートの音、眼を和ませる花の美しさや香り…これをフィードバックさせるか?それともコメントと捉えるか?ことは小鳥や花の問題・課題でないことはあなたはお分かりだろう?主体でない小鳥や花には何の問題もない。問題・課題を自覚する存在を主体者と呼ぶ…これは「私の思想/宗教」であって、そう思いたくない人がいらっしゃっても私にはどうしようもない。初めに述べた一連の番組を自分はどう思い・係わるか? だからどう感じ・反応するか?即ち主体者の問題・課題!

(言い方を変えると)眼前のデキゴトを自分の問題・課題として受けとめられるも受けとめられないも思想・宗教の浅深による。了。