進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

尊い存在

寄り添えば大きな幸せに繋がってそれは嬉しいことだけど、人は生きている期間限定の寄り添いしか出来ない。この程度の「大きな幸せ」で十分って思う人がいるのは知っている。だけど「私が死んだ後、この子はどうなるのだろう」とオロオロ憂い嘆いている人はネットにも溢れているようだ。愛児に寄り添って手を繋いであげていても死んでしまったら手を繋いであげられない。手を放された子のことを思えば死にきれず、それで往生できずに化けてでた母親の昔話もいっぱいあるよね。親は自分が死んだ後まで子の安否を考えて悩むことになっている。そんな女性の有難さを知れば私は「関係ない」と放っておきたくない。

放っておいたら誰にも嫌われなくて済むのにね、私って馬鹿(みたい)でしょう!?釈尊鬼子母神の「児に寄添う姿勢」を理解し・高く評価した気がする。そうであれば仏法は眼前の事件・事故に囚われない「思想/宗教」に違いない。永遠の生命観から「寄り添う姿勢を重視」しつつ、もっともっと幸せであってほしい・永遠に幸せでいてほしいと願うのが釈尊本来の仏法に違いない。だから「それにはどうしたら良いの?」と問う姿勢が必要になる。nhk番組「いじめの‟空気”って?」で児童・生徒たちが互いに問い合っている。たかみなをはじめとして、大人は介入していないようだが、私もそれで良いと思う。

子どもとか大人とかは関係ないんだ。これは哲学の「命題であり「なんだもの、上から目線のオトナが解決できることではない。人間が真剣に生きかた語りあう神聖な命題/解語り場なんだと私は捉えている。児を想う母は実に尊いが、互いを尊重しあって協力しあって語りあう人の姿はあなたの心にも実に実に尊く想えるのでないのかな!?年齢的には若干かも知れないが、年齢だけのオトナには及びもつくまい。この子らが齢をとる毎にヒネクレて行きもするし、全うに大人への階段を登りもする。私の思想/宗教からはオトナでも遣りなおしが可能なんだもの、若干○才か、十○才の成長の著しさや畏るべし

私たちも後れを取ってはなるまいね了。