進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

重罰化の理由は?

2020年9月11日のnhk時論公論」は内容が深く想えた。少年法改正の答申案を議題にした内容だが、そもそも改正したら良くなるべきで、その責任をとる覚悟のない幼稚な者が幅を利かす社会は問題が多い…と、このように導かれたとき、どうなるか?すなわち、私たちの社会で独裁主義に光が当たる状況が生れる。あなたは無責任・幼稚な者に大切な命や暮しを預けたいか?無責任な者たちが政治に口出しする国家制度は国民の暮し・命を危うくする。この危うい状況が生れたとき、賢い誰かに政治を委ねたら安心という考えに風が吹く。野党の先生方が言う「風が吹くのを持つ」とは当にこの事でないか?

これがソビエトや中国なら共産主義一党独裁であり、北朝鮮なら金日成(キム・イルソン)首領の独裁であり、あるいはローマ教皇に全権をゆだねるバチカン市国であり、数え上げたら限がない。確かに賢者・哲人が独裁者なら国民は安全・楽ちん出来そう。無責任な者が口を挟む政治体制よりは安心できる。それで無責任・幼稚の者の口を塞ぐべきかとなると、賢いあなたは其れこそ独裁体制への一本道だから駄目だと言うに違いない。だったら常日頃からあなたご自身が無責任・幼稚な者を厳しく窘めてはどうか?日頃からあなたが口出しすることで自由社会・民主主義社会を維持できるのでないか?いかが?

少年法の重罰化に何がなんでも反対と言う積もりは私にはない。重罰化が好いと言う尤もな根拠を示せば私でなくても誰でも理解を示すだろ?ここでは少年法に特化して述べているが、ことは私たちの生活全般に通じる。独裁社会の市民であれば結果を見て・判断し・理解し・喜怒哀楽の反応を示すことになるが、民主社会ではナニゴトも先に根拠を示さなければ理解を得られない。為政者にしたら先に理解を得るよりも結果を示して納得させるほうが仕事をやりやすいだろう。だけどその結果責任・失敗の責任は為政者でなく国民の肩にずしっと圧し掛かってくるのを覚悟しなければならない。

無責任な者の阿呆な要求を呑んで・それで不安な社会になったからって嘆いたり腹を立てたりするならコノ者は阿呆の阿呆のどうしようもない馬鹿でないか?格言「身から出た錆」を使ってその責任は誰にあるかを考えなさい、シッカリしろよって窘めるが、それもお分りにならなければモハヤ救いようがないかも知れません。今回の時論公論を考えていて私はそう思った。Mindsetをしっかり覚えて身につけた人であれば「責任は全て我に在り」ってなるが、責任を感じない無責任な者は己の責任を誰かになすり付けて何にも考えず反省もしない。私の大切な人生を無責任な者の好いようにさせてなるか。

あなたはこのまま流されていって構わないだろうか? 了。