進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

永遠の人生

今朝のnhk連ドラ/エールは・・・己の才能に自信を失くした内弟子・五郎の話題だが、そんな現実のほうが多い筈だ。高校球児はプロ野球の花形を夢みるし、或いはラガーマン、或いはアイススケーターだの、ピアニストだの、歌手志望だのと、大抵の子供は華々しく活躍する己の未来を夢見ながら育つのでないだろうか。何百・何千・何万とある職の中から好きに選べる現代っ子たち。それが幸せなのか不幸なのかは別にして、幸せと想うも不幸と想うも当人次第で当人が決めること。どんな仕事でもやらせてもらえるだけで嬉しい人もいる。上手・下手を云わなければ人は皆・どんな仕事も身に着けられるように出来ているのでないのかな?

それで才能ってナンだ? 他者に認められる才能が欲しいのか?幸せは他者に認められることと思う人の「価値」は他者の気分次第ってことになる。幸せは夫婦円満・一家和楽だって思う人の「価値」は家族を幸せにすることになるし、私を大切に想う人の「価値」は他者と仲良く過ごすことだろう。星になって輝いていたい人も居ていいし、素敵な絵を描きたい人もいい。私で言えば、橋本多佳子の句に触れて以来、この詩人と同じ境涯に立って句を素敵に詠みたいと想い続けてきた。(連ドラ中の)五郎は挫折感を味わったかも知れないが、出来なかったことを挫折と捉えるのは私には得策と思えない。

理想の句は詠めずとも(私の)意識は高まりつつある。円満具足の人格を創りあげること・・・これが私の普遍(永遠)の課題。この課題を遂げるまでの無数の交さ路を渡りながらmindset(マインドセット)してエール(ヤル気)を挙げる。こう導かれてきて・成る程、「誰かへのエール  自分自身への応援」となって返ってきているのが感じられる。思ったように句は詠めなくても、好きな句に親しんだことで俳句と人生に付いての多くを私は学ぶことが出来て満足している。私の句作りは誉められなくても・・・私の好きな句は私を価値く導いてくれている。幼い頃には具わってなかった才能が少しずつ具わってきているのも感じている。

この才能には決して崩れない嬉しくて幸せ異名が付いているのかも…! 了。