進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

進化する哲学➌

ここで「痛み」を哲学したい。傷みに付いての哲学は過去に多く為された「命題」で難しいかも知れないが、「」に縛られる意味は無さそうだ・・・と言うか、「何のために?」が人間にはとても大事に思われる。外界に在って生物利己的に産れついているようですが、それは現代人に於いても少しも減っていないと思う。そういうことなら快楽からの導入が多くの生物に受け容れられやすい道理となるのでしょう。(念のために申しますが)「快楽からの導入」を勧めているのでないことは文脈からあなたには通じていると思います。「科学の哲学」も進化しなければ人間の役に立たないと述べているのです。

上記(wikipedia/ニーチェの記事に観られるように)痛み快楽は対立する概念です。これを医科学の立場で観察したら「個々の生命体は苦痛快楽の間を過ごす」と結論づけられるでしょう。熱い・冷たいの感覚は生命体ごとに異なるし・個々人でも異なっている。だったら個体ごとに感覚が異なっている事実は普遍的です。すなわち、条件次第で異なる「」。そうすると痛みと快楽は対立する概念だと決めつけられない。ベンサムといい、サドといい、ニーチェといい、何のために研究したのか?この「何のために?」が個々人で異なれば・・・共通する哲学だろうか?それらを科学の一分野と見なすことは出来ても、そこまででしょう。

共通する哲学でなければ・・・(私的には)共通する哲学抜きに人類を覚醒させることは有得ない。其処への導入として甘い🍬飴で(子どもを)元気づけ・体力を付けてあげるのであって、甘い飴の味を知らなければ基礎体力が付くとも思えない。基礎体力が付いていない者を叱咤激励するのは、そもそも見当違いも甚だしい愚かな仕業にちがいあるまい。私の箱庭菜園で学んだことだが、基礎体力のない野菜や果樹の苗や苗木は処分することになっている。あなたは疾うにお分かりだと思うが、「何のために?」の哲学が無ければ・痛みに付いての哲学が中途半端な儘(まんま)ならどうなるか?誤まった対策によって世界は混乱を避けられない。

すなわち「何のため? 」「その目的は?」が共通の哲学として受入れられた所に未来(希望)は具わると言えるでしょうね。ま、これは私の哲学ですが。了