進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

守護者Ⓒ

いやじゃ、いやじゃ、邪魔してやるって言った覚えはないが、2才の頃だったか⋯物心(ものごころ)が付いた頃 ぶら下っていたのを憶えている。他人の一生分も二生分もぶら下った気がする。そこには言葉で表わせない幸せな関係があった。その記憶がいつも私を支えてくれているように思う。産れるまでは誰もが包まれた莢(hull)のなかでぶら下っていて、産れてからも暫らくぶら下っていた私の心身だったが、程なくして守護者の掌に受け止められた。それからはその腕やお腹・背中に纏(まと)わりついて放れなかった。あなたは私以上に幸せにぶら下って過ごしたかも知れないが、それを記憶していらっしゃるだろうか。


作者の想いは一旦置いて、守護者(庇護者)に纏いつく私(紐)の想いですが、纏(まと)ひつく纏(まつ)はるの細かい違いを知ることもなく・ぶら下っている状態で当り前だと考えちがい?つまり有難いと感じる気持ちを覚える前のひと時? 早い話がこの地球に安住していても地球に感謝する気持ちを中々持てない私たちのような存在・・・と言ったらいいだろうか?纏(まつ)はる想いは守護者のモノで、私を持余し気味の日もあれば・余裕の日もあったと思いたいのは紐の私の勝手な理解。今さらだが持余してばっかりだったに違いない。こう思わせてくれるのも紐をブチ切らなかった辛抱があったればこそで、私は何もしていない紐

纏(まと)ひつく想いさえも育ってなくて本能の儘(まま)にしがみ付く私であれば、それをブチ切ることもせず・取り替えようともせず、いつか役立つ筈と信じて纏ひつかせるのは守護者の心情。ここで守護者は頼られる存在・・・と云えて一往は受け身であるが能動者(主体者)の地位は少しも揺らぐものでない。身は受け身・その心は主体・能動。この哲学を私は守護者から受け継いだと思っている。受け身であれば悲しみの尽きることなく、能動であれば苦難に弱音を吐くことはなかった。それを見聞きすることが出来た福運は永遠の財(たから)として私の遺伝子にしっかり纏はりつかせている心算(つもり)。

私とは逆に読んでいいし、まったく別の捉えかたもいい。私は私の得になるよう、あなたはあなたの得になるよう。人間は人間の得になるよう。一貫性を保ちつつ、哲学は「解」から「命題」への逆算もアリです。有名な哲学者のを丸暗記するのを哲学と言わない。あなたも哲学はいかがでしょう? 了。