進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

自己超克(じこちょうこく)

自己超克(じこちょうこく)という言葉を知った。字面から察するに自己を超え・自己に勝つことだろう。ソクラテス無知の知は夙に知られるが、ニーチェの自己超克はソクラテスに倣った気がする。無知なソクラテス他者に学ぼうとした。学んでその優れた所に倣おうとした。倣えば収得できる。結局、ソクラテスの知識はアップした。是、外面に現れた。他者の内面は見える筈もないが、内面を全うに判断する手立てはあるか?想像の落し穴に嵌まるとソクラテスは知らん振りして・自己顕示欲が強い・偽善者」と無責任に誹謗中傷して仕舞いがち。講釈師見て来たようなウソをつきとなる者は後を絶たない。

それでニーチェに出来る哲学はナニ?ニーチェに出来る哲学は私にも出来る筈でしょ?nhkの哲学の番組で起った疑問に質問する。例えば「100分de名著」。講義を私なりに纏めていく。講義に一貫性を観て納得・・・これ当然ですね。仮に私は納得してるのにMCが異論を唱える。司会は私と同じ捉え方してる。私と同じだからと言って嬉しいことはない。私と異なるからって嫌うこともない。私は講師に倣って論を組立てる。誤まったMCに機嫌を悪くしている訳でもない。倣ったことで・MCが間違ったことで・司会が私と同じ観方をしたことで…それまで知らなかったことを知ることが出来る。誤まったMCに感謝もできる。

そういったことを私のブログ上で展開している。「MCのヤツ、嘘を教えやがって」なんて思わない。「お陰さまです」と私の哲学は進んでいく。誰かを怨み・憎んでいたら「克己」できない。成る程、ニーチェもこうやって自己超克できることを自己体験するなかで知ったのかもしれませんね。せっかく哲学してるのだもの、せっかく「100分de名著」で哲学しているのだもの、体験で会得するモノの大きさを誰にも味わって貰いたいものです。いやいやいや、私のこの程度の記事でソクラテスを罵ったほどの恨みは誰も持っていませんよね。悪しからずです。(;^ω^) 了。