進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

自己超克/文学

直前の記事「自己超克(じこちょうこく)」の課題は何だろう。自己超克は大事と思うが、あなたにはどうか?他の人にはどうだろう?一般世間の人々はどうなんだ?自己超克に懸ける覚悟は私に具わっているか?「誰でも自分の成長ぐらい考えて当たり前。そんなことも分らないか。寝ぼけたこと言ってんじゃないって言いたい人は多いかも知れない。私には自己超克が世界文学全集/少年少女版のテーマにもなっているように思われる。レ・ミゼラブルの主人公ジャン・バルジャンに著者のビクトル・ユゴーは人間にも・社会にも・神にも愛想を尽かす塗炭の苦しみを加える。即ちドン底から復活する人間劇。

秘密の花園のストーリーも神に失望した家族が居て、人を嫌う人も居て、生きることを疎ましく想う人も居て、そういった人たちが自己超克することで・仲間と手を取り合い・人間復興を果たしていったのでなかったか?どの小説も神と和解するドラマでもあるようです。自分自身も他者も赦し・受けいれるドラマとも言えるだろう。キリスト教社会であれば赦し・受けいれる流れになるが、これが仏教思想であれば許し・受けいれるとなるのだろうな。ともあれ、その厳しい状況下から人間復興を多くの人々が成し遂げるストーリー。誰かを敵として戦い勝つのでないこと、あなたはお分りだろう。人間は敵じゃない

日曜夜放映中の「赤毛のアンの映像版」に作家モンゴメリー女史は人間不信・神不信の環境を与えている。私は思うが、この小説はモンゴメリー自身が乗越えた厳しい環境をモデルにしている。モンゴメリーとアンの環境を比較してどちらが厳しいかなんてこと私には分らない。あの人は私より恵まれてて好いな…こんなふうに誰でも思いがちだけど、不公平感に囚われていては身動きできない。身動きできないから心を閉じて・誰かを妬み・悔しがり・怨むばかり。そんなことでどうして明るい未来が開けるものか…と、こんなふうに言えるのは当人でないからですね。こんなこと思ってて無疑盲信を考えてしまった。

それは置いといて、アンジャン・バルジャンの違いもありそうなので少し考えたい。両者とも食うや食わずの中で生きてきて条件は変わらない。どちらもガッチリしていて基礎体力は付いているようです。男のバルジャンには並外れた体力が与えられている。女の子アンには特別なナニかが具わっているか?私は他人の持ち物を羨みたがる人なのです。(^^;) 私のことは置いといて、アンには並外れた観察眼が具わっている。観察眼科学的な視点です。オヤツが身近にあって、食べたい食べたいと思う心に囚われてしまう人は多い。オヤツの所有者をアンの観察眼は見失わない。禅寺の一休さんは水飴の所有者を見失って食べたよね?

アンはありきたりの世界を観察する。観察した世界に心を注ぐ。この感性モンゴメリー譲りだと思う。誰よりも可愛いアンへ作者は自分の観察眼を贈ったのだろうな。そして心!モンゴメリーの感性も得たアンです。「好いな好いな、アンは好いな、恵まれ過ぎてる」って思いますか?暮らしている世界は誰にも平等にありきたり。世界の天辺で生れ・育つ人がいて、世界の最底辺で生れ・育つ人がいる。あなたも最底辺は嫌でしょう?程ほどがいい…とか?ま、自分で選んだ場所に私は生れたから気楽ですけど、厭なところに産れさせられた人は堪んないでしょうね。なんでこんな目に遭わなきゃならないんだって。

アンとモンゴメリーとは気が合ってたに違いない。親子の関係を模倣しているみたいだ。私は模倣でなくホンモノの親子関係の下に生れてきたし、私が狙い定めて選んだ母だったし、私の人生の全ては交さ路ごとに私自身で選択した道。私の人生を誰かの好きにさせて堪るものですか。お人好しはご自分の人生を誰かの好きにさせてらっしゃるのでしょうね。ま、ご自分の人生ですし、私がとやかく口を挟むことでないのかも知れませんが、口を挟む・挟まないも誰かの好きにさせる積もりはない。自由に生きるアンはやっぱり素敵。了。