進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

自己超克/偏見

直前の記事中、「人間不信・神不信の環境」を哲学・確認します。どこへ導かれるか?それは哲学レベルに依るのでしょうね。人間は偏見に囚われやすい存在ですし、それで疑う気持ちがあなたに芽生えるのは仕方ないとは思う。疑心・疑念の状況に陥るとなかなか抜け出せないよね?それが人間ですし、(そんなあなたを)キリスト教徒は赦し仏教徒の私は許すのでないのかな。赦し・赦される環境があり、許し・許される環境がある。それが人間社会でしょうね?赦されない社会の存在は許されない哲学の私。結局、赦さなければならず・許さなければならない。揺り篭から墓場まで人は学び続ける未熟な存在でしょ?

あなたは赦すとき憎いアイツに免罪符を与えるでしょう?許すとき私はあなた(人間)に仲間の尊厳を認めている。相手は人間なのか、ジャン・バルジャンは人間でなかった期間があっただろうか?いつだってバルジャンは人間だった。納得。バルジャンに私は尊厳を認める。こんな塩梅かな。認めなきゃ仕方ないよね?私は科学を重視する立場ですし、自分の哲学を裏切ってしまっては私という人間の尊厳までも己で否定してしまう。これ打算だろうね。科学と打算が合致するとき、私のなかで交渉成立。了解となる。だから科学と打算が一致する哲学が私に向いている。打算が宗教とも一致するなら、もう最高\(^o^)/

哲学から命題を導きだす逆算もありとドコかで書いたけど、赤毛のアンの幸せ(≒)にピッタシの試練(≒命題)を次から次とモンゴメリー母さんは娘(アン)に与え続けたんだ。もう肝っ玉母さんなんて比じゃない。人さらいに連れていかれる危い場面にもアンの観察眼でしっかり対応させて、自分で切り抜けさせている。「神も仏もあるものか!」「もう誰も信じられない・だれも信じない」と、もしかしてあなたは言いそうですか?神仏を信じられない環境はじっさい多い。俺は宗教を信じない⋯こんなことを得意顔で云う人も多い。哲学学やってて神仏を信じないって仰るお人もいらっしゃいますからね。

観察眼が曇ってしまえばアンを観れず、歪んだ伝聞メガネの偏見で「アンは身寄りがない駄目な困り者だ」なんて言う年配者がいる。その人の子は幼いうちから偏見メガネを付けさせられて育てられる。その幼い子らはアンを馬鹿にする。神不信の環境はこうしてドコでも見受けられることになる。この悪環境で凹むことはない訳だが、人を信じる確かな目(観察眼)を具えるアンには悲しいこと。悲しいことの意味までは分らないレベルのアンなんだな。「人間不信の人の幸せのために流してる涙なんだよ」って私なら教えるところ、マリラはもっと優しくアンを支持してるって伝える。いやいや、映像で観たほうが良い。

偏見メガネで暮らしていて、アンの味(net)(じか)に見ることがなければ?そりゃあ、正直でいられないのじゃない?「日本語って哲学的だな」って思える瞬間に度々出合えて、哲学やってて良かったって思うことばっかりだ。モンゴメリー女史の哲学の確かさにも感動してばっかり。正直の意味、嘘を言わなければ正直だってならない深いところが兎に角嬉しい。了。