進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

自己超克/先入観

直前の記事の「偏見」と縁ある言葉「先入観」を検索。先入観と偏見は同列に扱われてると感じた。同列でいいの?これはやっぱり「哲学」するしかない!偏見を放っておいたら?そりゃあ、集団内の常識・社会常識・一国の文化へと発展してトンデモナイことになるかも知れないからね?ナチスの台頭も初めは小さなあばた程度だった。「あばたもえくぼ」でファンが付いて傍観しているうちに手が付けられなくなった痛い記憶も風化しがち。「雨降って地固まる」も好い、だけどいつも旨くいくと決ったものでもないからね。「風が吹いて桶屋が儲かる」こともある。儲かればいい?陰で泣く人の存在はどうするの?

だれもクラスターは嫌でしょ?何ごとも初めが肝心でしょう?偏見も先入観に始まるって言っているのです。先入観の意味は読んで字の如くに「初めに知った事に基づいて作られた固定的な観念」と単純に捉えたい。ここでは「先入観も偏見も悪い意味」っていう先入観も無しです,正直に! 昨夜のnhkアンという名の少女(5)」でアンの正直さがドラマの中心に据えられていたようでビックリ。昨夜私もアンの正直さについて考えていましたからね。女は黙って家事をしていろ」っていう先入観を後生大事にしている人もいて、これは日本の文化になっていたのじゃない?昔の常識、今非常識の具体例でしょ?

偏見だの非常識だのと言い合ってても埒(らち)が開かないからね?先入観なしで考えるのが哲学ですし、初めから終わりまで意味が通ってなきゃ哲学じゃない。バカみたいに笑って済ませるものでないのです。じつに今も誰もがチャンスの交さ路に立っている。正直に現実へ対する人のところに明るい未来へ至る道への鍵「解」が置かれる。アンにはアンの経験則があり、私には私の経験則がある。あなたもね。誰もに具わる経験則。一人一人の経験は異なる。自分と異なる則(法則)を纏い武装して向かってくると感じたら?そりゃあ、あなたも身構えるよね?人は仲間(基本法則)を正直に具えてなきゃ危ない!

人は仲間って思ってるとき、他人の経験則は個性として捉えることになる。多様な個性が共生するところに花開く文化でしょう?もちろん、不快な思いを我慢しなさいって無理じいするのは共生文化を弱体化させる。アフリカの若い女性が上半身裸で・若い男子も集まって集団で舞う!そんな映像をnhkで観たが不潔に感じなかった。日本の貴女が同じ格好で現われたら不潔に感じるのは間違いない。舞う女性の笑顔が屈託ないのは向うの文化の顕れなら、不潔に感じさせるのは日本女性の意識の顕れと思う。なにせ私の基本に違いはないのです。もちろん、私の個性と他の男性の個性は異なり、そこに多様性も観て取れる。

あなたにはあなたの好みがあり、だれにもそれぞれに好みがある。もちろん私も好みがある。入ってきた情報はそれぞれ異なるゆえに、それぞれの好みは異なって当たり前。基本的に私の好みの生き方を申せば、最低限の食事・寝床・衣裳。お洒落の好みは独特かもです。後、好きなことして人生を送れたら好いなあ。人の役に立てたら幸せになれるってことは知ってるし、草ひきでも公園の掃除でも悦んでもらえたら嬉しいじゃないですか。赤毛のアンにも私と同じところが窺がえて、素敵な母親(モンゴメリー)・素敵な家族・素敵な仲間たちを得たアンに安心させて貰った。困難がアンを大きく育てるのですね! 了。