進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

自己超克/時宜(1)

日増しに秋の深まりを感じる季節となりましたが・・・新型コロナ禍のなかで時宜に適った挨拶に気を遣ってらっしゃる方は多いと思います。また相手に応じて言葉は慎重に選ばなければならないことを多くの方が痛感なさってらっしゃるでしょう。さらにその時々の自分自身に配慮した気の遣いかたもあるだろうと・・・これは私自身のことです(゜o゜)。それにしても「時宜」に気を遣ってどうなる?幸せが約束される?その幸せは眼前の幸せ?遠くの幸せ?幸せって他者が決めるものなの?自分が決めるものなの?どうしてこんな事を私は言うの?こんなこと書いてて「若きウェルテルの悩み」を想ってしまった。

ナザレのイエスも・仏陀(ぶっだ)も自分自身の幸せを求めた事実に間違いはない。その事実は私にとっても大事です。私には大事だけど、だれにも大事と受取られている訳ではない。そして誰もが幸せを求めているのは事実です。それで我武者羅(ガムシャラ)になってる人は多い。まず、私自身が我武者羅で・あなたはどうか知らないけれど・世界を見渡すと我武者羅な人がじつに多いと思う。若きウェルテルは「僕は幸せなんだ」と想っていても・マズ思っていない。毎朝の御飯を美味しいと思ってなくても、身体は美味しいと想っていて、だから「オカワリ」出来るんだ。「美味しい」と言う訓練ができてなければ脳も美味しいを忘れてしまう。私はそう思う。

旧約に「ヤハウェはアダムの隣りにイヴを置いた」という記述があるようだ。⓵訳者に依ってこのフレーズの捉え方は異なっても仕方ない。②人は時宜に応じた反応をする。この⓵②のフレーズを頼りに哲学してみる。映像赤毛のアンの牧師は「神はアダムのためにイヴを造った」と訳した。赤毛のアンの創造者モンゴメリー女史は「神は人が独りで生きるのを望まれず、それで仲間を贈った」と訳しているようだ。私の哲学だと「人は大勢で生きるのが幸せ。それには仲良く協力し合って子孫を増やしなさい」と導かれる。時宜は個々に・場所毎に・時や時代毎に異なる。時・場所で千変万化する世界(客体)をどう生きようか?

世界が変化しなければ見慣れた景色ばかりになってしまう。食べたい果実はイツだって同じところで手に入るし、不味いモノを口にする誤ちは防げる計算。そこは安全で信頼できる世界なのですから如何でしょう?天国にも極楽にも思えるかも知れませんが、あなたはソコへ行って暮らしたいだろうか?千変万化する世界は何がドコに在るか分らないからしっかりしなければならなくて、気持ちが落ち着くことは滅多にないかも知れない。思いもしなかったような危険もいっぱい有るだろう。そこは地獄に思えるかも知れません。それであなたはそんな地獄へ行きたいですか?極楽(≒天国)へ行きたいですか?こんな地獄なら好いな!

地獄を良く言う私って変ですか?ジャン・バルジャン赤毛のアンも地獄を愉しんで過ごしたみたいです。あなたの思想・宗教で判断してみて付いていけてますか? 了。