進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

自己超克/時宜(3)

浪費でしかない「夜明けの行灯」を嬉しがってても詰らない・・・「だったらどうするの?」って前進しようとする(リーダーを求める)思想・宗教時宜に適って頼もしい。この大事の交さ路に至っても「話しにならねぇ」ってヤツの正体は?せこいヤツに乗せられては詰らないからね。気づいているだろうか?誰をリーダーにするかって言いたいのではないよ。分ります?リーダーは誰でも好いって言ってるのでもない。これが分らないヤツ等の好きなにやらせてきたのが人間の何万年もの歴史だった。憎い・悔しい・殺せえ・・・そんなことばっかり叫んで世界の秩序を歪めてきた流れはもう終らせていいのじゃないか?

結局、誰かじゃない。自分自身の中に棲んでいる敵に気づけない愚か者に世界を・私の未来を・あなたの明日を任せては駄目だ。この獅子身中の虫に遣られっ放しの心を教育してそう・そうと思わせない己心(の思想・宗教)が夜明けの行灯だ。教会の牧師だったら大丈夫か?肩書きじゃないってモンゴメリー女史は赤毛のアンで証言する。小説は「哲学しない脳味噌は時宜を弁えない夜明けの行灯だ」って言いたいのだ。何万年もの人という権威の歴史の中で哲学できないことを証明してきたヤツ等にあなたの世界を任せて好いのか?それではソロバンが合わないだろ?それでは奴らを付けあがらせるだけだろ?

ここで「アンという名の少女」のストーリーを簡単に振り返ってみます。哺乳類の仔の多くは親の温もりを感じるなかで物心(ものごころ)が付いていく。人間も哺乳類だから似たような育ち方になる。ところがアンは人の心の温もりを知らない分別(ふんべつ)が具わり始めている。ここでお断りしておくが「物心・分別」と言っても言葉の意味は人それぞれに異なる捉え方をするのが普通です。あなたと私で捉え方は異なるし、家族同士でも言葉の(意味の)捉え方は微妙に異なる。だから「同じ言葉を使っていても意味するところは一人一人異なって当たり前」と捉えるべきです。これ重要だが無視されがち。

言葉づかいが己に近い仲間ほど親近感を抱きがちなのも、人間に伝えられた遺伝子の働き・意思の疎通に都合がいいと思えば納得できる。もちろん、新たな知識・知恵も取入れ・進化していく人間ですから、親近感を強く感じる仲間からの『新しい知識・知らなかった情報」に信頼度も高く感じてしまう。そうすると⓵余所者のアンは言葉遣いで隔たりが大きい。②人の温もりを知らないアンは他者と打ち解けあった経験面で弱い。③物心が付いたころには社会のなかへ放り出されて一人前(の働き)を要求され・鍛えられていて、親近感を持たれづらい強い面が表れる。結局、アンを理解する人・環境との出合いがカギ(課題)。

アンを理解する「人・環境」のカギをモンゴメリー母さんはどうしたか?大地の極みで生きるアンに何を期待すべき?ヤハウェはアダムを哀れんでイヴを贈った(牧師説)。地獄の犍陀多(かんだた)を憐れんで仏は蜘蛛の糸を垂らした(芥川龍之介説)。牧師も龍之介も他力本願の思想宗教がお好みのようで泣き嘆けば助けられる? ところがモンゴメリー母さんは自力本願の人だったようで「自分で何とかしなさい」とばかりにアンの自立を祈り続けたようですよ。アンは幼くして社会に放り出された己の運命を生かすことになったようで、正直なアンの味(net)(じか)に観てくれる人を嫌わない・裏切らないアンのお話。 了。