進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

自己超克/時宜(4)

チャンスをどう生かすかが鍵(かぎ)と云う有識者は多い。この論法は正鵠(せいこく)を射て見えるが果たしてそうなのか?私はチャンスの味(net)を味わいたくてちにgoogle検索へ飛んだ。そこは「チャンスの捉え方」のページ。ウンウンと頷きたくなる回答がズラリと並んでいる。「それ見たことか」と私の邪心を煽りたてる回答が並ぶ。お陰さまで「私の邪心」に気づけた。から命題を引きだす逆算も好きだが、「まな」を欲しい訳ではない。赤毛のアンも「邪まな結果」に嬉々としない正直な女の子だ。こんなところでモンゴメリー女史との共通点を覚えながら検索は続く。そしてwikipediaチャンス」。

そこには何と何と!チャンス(chance)は、英語では「偶然性」の意味で、好機は opportunityと載っている。学識高いあなたには常識だったかも知れませんね。「チャンス=好機」と思いこんでいた私は今さら勉強中です。私の失敗を知ったことで、他者の失敗が少しでも減ることを願ってこうして書いております。それにしても西洋社会では哲学が進んでいるのですね。赤毛のアンは11歳なのに大人(おとな)の対応が出来ている。赤毛のアンに接した人たちの生命はアンの正直に染まる。こうして「チャンス必然」となるのです。

おそらく難しいかも⋯ですね?「偶然が必然だって?」と捉えられた方は多いかも知れない。偶然とする人もいて・必然とする人もいると言うことです。出逢いを好機とする人がいて・意味のない出逢いにしてしまう人もいる。11歳のアンに社会的責任を押しつける社会はやっぱり駄目でしょう?だからってアンは駄目になる資格や権利を持っているだろうか?子どもは「拗ねてやる・泣いてやる・道ばたで寝転んでバタバタしてやる・我がまま言ってやる」の物心は付いていて実行するものだけど、分別が付いたアンは悲しい時・悔しい時・辛い時などに涙を見せないかも知れない。だがそれで好いのか?自称大人たちよ。

勿論、チャンスに時宜を得て大人になったり・チャンスを無意味に過ごして子どもの儘でいたり・人はそれぞれであれば、私自体がチャンスに違いない。その己の存在・言葉を粗末にするも大切にするも自分次第!そうであれば自分はどう語るべきか自ずと決まること。アンに具わる外面は着飾って金髪に見せるもよし・素敵な衣裳に身を包むもよし・ご馳走を食べている画像をネット拡散してもよし。しかしアンは赤毛の儘を・ソバカス顔を・真っ直ぐな性分そのままを親しい人たちの気に入られて気が楽になったのじゃない?有りの儘で駄目なら別離が待っているものね?私もモンゴメリー母さんと同じ考えです。了。