進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

自己超克/時宜(11-1)

時宜(じぎ)時宜を得るとか時宜に適うとか云うが、重い意志が込められた文言(もんごん)のようにも思われる。すなわち、大人(おとな)の言葉は重いと導かれる。私は、軽口は駄目と言っているのではない。私が大人になるために当面は軽口が必要だし、非難や怒鳴りあいもマダマダ言い足りないと思ってもいる。ともあれ、大人への階段を登ろうとしている意思表示だけはしっかり示しておかなきゃ⋯です。キリスト教では人が神を目指すことは許されないが、仏教では全ての人に仏への道を示し・明かしている。そう言われてもオイソレと成仏できるものでなく、気がつけば嬉しいことに仏になっていたりする。

ま、大人への道もならない私ですが、階段へ足を掛けるぐらいは今ぐにも出来る訳です。大人へ登る階段の一段一段は私が主人公のステージであれば、その主体者・スターとしての私を巡って展開されるドラマになる。ステージだから・ドラマだから・主体者だから、奴隷の役も・使用人の役も・鞭打たれても仕合せに輝くことが出来る。大人は主体者になれる。大人だから・スターとして・ステージに登ることができる。いやいや、ちょうど今、8~9才の児童の日記にそんなことを教わっているところです。8才児の・大人(おとな)の日記「にあんちゃん」…少しずつですが紹介させていただきます。

(日記)にあんちゃんを書いているのは小3女児の末子さん。長兄長女次兄そして当人の4人兄妹。にあんちゃんは2番目の兄さんを意味する。末子3才の時に母親は亡くなり、父の死後49日目に日記はスタートしている。長兄・長女は既に働きに出ていて、残された小学生のにあんちゃんと末子が中心の日常が描かれている。この兄妹は事実上のみなしごとして社会に放り出されたに違いない。衣服や教科書・文具代にこと欠いただけでなく・食うや食わずの日々だが、あなたには想像し難いかもしれませんね。そんな酷い環境に置かれた末子に大人(おとな)を観たのだが、それはいったいどうした訳だろうか?

その真実はきっと「にあんちゃん日記」に顕れているに違いなく思われて、それでこうしてココに綴りたくなったのだと考える。了。