進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

自己超克/時宜(11-2)

にあんちゃんは末子より2学年上級だ。長女はさらに3~4歳年上か?長男は5~6歳年上か?両親は早世したようだ。末子だけでなく、にあんちゃんも姉も長兄も大人(おとな)に見える。両親亡きあと、長兄と姉が働きに出て兄妹4人で助け合って生きようとしたようだが、収入が絶対的に不足してにあんちゃんと末子は知り合いに託されている。尚、筑摩書房編集部が興味を引く数字を載せている。末子が小三時(1953年)の消費者米価68円/㎏。1976年消費者米価369円/㎏。このように日本の物価は上昇している。そして2020年現在の消費者米価は1976年よりも安くなっていないか?末子が育った時代は現代より生活しづらかった?

夫婦共働き・子供四人の6人家族。「夫婦で働いたら生活は安定する」と現代風に捉えては駄目だろう。仕事が安定してたら・労働組合に護られたら最低収入は確保できる。それはそうだが、それで臨時の仕事しか無ければ?労働組合に守られなければ?これは現代に於いても言えることだ。東南アジアから日本にやってきて新型コロナでアルバイトを出来ない人たちを誰が守るのだろうか?正社員でない人たちは保護の対象外で、健康保険はなくて、それで病気になって病院は診てくれるだろうか?病院・医療関係者はボランティア活動で恵まれない人たちを診るべきだろうか?奉仕の精神は美しいと褒めて済ませるか?

綺麗ごとは確かに美しい。だが私の感覚にその美しさは受入れられない。誰かの犠牲のうえに描かれた美しさを私の感覚は美しいと認めない。この20年間ほど「無料奉仕だからボランティア活動は美しい」という意見がインターネットに溢れてきたが、私は無料奉仕のボランティア活動を美しいと思ったことなど一度もない。たしかに災害支援のボランティアの炊き出しなどで助かるのは事実だ。だがそれは災害支援限定のボランティア活動であれば、それ以外の飢えた人を救う目的は零(ぜろ)だったことは夙(つと)に知られている。困った人を助ける目的でない日本のボランティア活動は、それなら何が目的なのか?

私(マイノリティ)は評価しなくても、日本のマジョリティは美しいボランティアとして評価し賞賛している。そしてそれで良いんだとあなたはお思いになるかも知れない。マジョリティの拍手喝采を浴びる(目的の)日本の美しいボランティア活動。多くの人の喝采に意味がないとは言わない。いやいや、これは日記にあんちゃんを読んだ影響だと思う。誰もが苦しい暮らしのなか、行き場のない末子とにあんちゃんの二人を引き受けてくれたマイノリティがいなければ、弟妹二人だけでなく・兄姉も為す術がなく、兄妹4人はどうなっていただろうか?拍手喝采に無関心の支援者がいて、人を信じ続けられた末子だったかも。了。