進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

自己超克/時宜(11-5)

直前の記事に「社会革命だ!全共闘だ!」と書いたから少しだけ触れておきます。人間と人間の媒体として言葉に力を付けなくてはならない。ここで言葉を主体とする劣悪なる思想は人を客体へと貶める。「伝説の討論会だの、三島由紀夫近代ゴリラだの」、言葉を強めんと目論む者の知的レベルに応じた力しか付けられないにしても、それは個々人の力量の差でしかなくて、言葉の力が失われた訳ではない。8~9才の児童の言葉に力を付けたのはその児童本人ですからね!?三島由紀夫が勝っただの、芥正彦が勝っただの、そこに大した違いはない。児童・安本末子の事実・真実の声が聞こえない愚か者ではなるまいと思う。

ともあれ、事実・真実から目を逸らさない思想・宗教の実践者だけが人間と人間の間の媒体となり得る力ある言葉を育(はぐく)むのだろうな。それで4年生になった末子は何を語っているか?喧嘩論がテンコ盛りの「にあんちゃん」で末子は何を語っているのか?牙城を守る4兄妹が私の目に見える。如何にして守るべき?そりゃあ、大切な大切な牙城の奥の間には旗印・末子が座るのが自然だな。この末子の声に合わせて兄姉たちは牙城を守る。強い者が戦わずして城を守れるものか、でしょ?弱い者の悲鳴を聴いて動かない勇者がいるだろうか?弱い末子を守ること-即ち-牙城を守ること。これ私の思想・宗教。駄目ですか?

犬・猫などの猛獣は洞穴のイチバン安全な場所に陣取っている。弱い者ほど危険に見舞われやすい入り口近くの末席にいる。これこそ下等動物の牙城の守り方だ。沖縄戦で弱い婦女子は入り口近くに追いやられ、あるいは洞窟から追払われた。終には断崖絶壁から跳び下りさせた日本軍だ。この畜生の戦法があなたは好いか?だが私には到底受けいれられないよ。末子を飢えさせる仕業(しわざ)は仕方ないこととして・日本人の常識・社会常識として、受けいれてきた事実がある。この事実をあなたの罰論の前面にぶら下げるとき、あなたの罰論は引き下げざるを得ないだろう。それともあなたは罰論の手本を示す覚悟をお持ちですか?

俺の罪だけは見逃してくれという恥しい屁理屈を首にぶら下げている子どもは許されるべきだと私の思想・宗教は教える。子どもはそんなモノだからね。子どもを正直に・真っ当に育てていくのは大人(おとな)の役目。己の役目をしっかり果たせるのを大人と言う。だから、好い加減に図体だけ大きくなった子どもを罰する資格は大人にない。この覚悟をもって牙城に臨むのを守りの戦いと言う。この鉄壁の守りを具えるところに世界一の(たて)があると言えまいか?どんな(ほこ)で突いても切っても決して傷つかない盾とは実に是のことだと信じる。この盾を手放したとき、鉄壁の牙城も呆気なく崩れ落ちてしまうに違いない。

傘(かさ)は一本しかない、そのボロ傘だけど先ず末子を護るために使う。芋しか食べられない経済で、お昼の弁当は一人分、それは末子に食べさせたい。その理由は?そんなことにあんちゃんにも分らないよ。そんなものだと思ってるのじゃないか?持ってかえったお弁当を姉さんに食べてもらおうと思う末子、申しわけ程度に食べて殆んどは末子に食べさせる。末子を守ることが安本家の牙城を守ることなんだと、無意識のうちにも親の背中に学んで身に着けた兄姉たち。もちろんその思想は末子にも伝わっているようだ。この団結・思想を懐柔し・仲間割れ・裏切らせようとする風潮は日本社会に高まり広まっていたと思う。了。