進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

人の言葉は行違う

お題の「人の言葉は行き違うは直前の記事で導かれたフレーズ。さらに私の場合は「だから何なの?」って導かれることになる。あなたなら如何なりますか?行き違わないように喋らなければ駄目・行き違ったらダメだから黙ってる・他人の話はしっかり聴かなきゃいけない・面倒くさくならないよう気があう仲間と過ごす。他にも色々あるのでしょうね。「私の命は皆さまから戴いたもの」…じつは是が私の基本に置かれています。今までに私は何遍死んだことか。現実には1遍しか死なないから初めの1回目で死んで、こうして今書いていられる訳がなくて、私が長生きした分だけの命は皆さまからの賜り物に違いありません。


感謝できる幸せを知らないまま呆気(あっけ)なく亡くなった命も沢山(たくさん)あった。そう思えるのも偏(ひとえ)に皆さまが居てくださったお陰だし、感謝できるってホントに幸せなことに思える。と言うか…たとえば「にあんちゃん」の安本末子氏たち(兄妹)を残して亡くなったご両親の想いは如何(いか)ばかりだったか?心置きなく旅立てる親は幸せですが、愛しい子らの旅路に不安が感じられれば親は安心していられない。「私は元気だよ」って誰もが笑顔で言える世界を目指して生きることで亡き親に報告するしかないけれど、「親の背を観て子は育つ」と信じるところでこの思想は子々孫々へ洋々と伝わっていけるのでしょうね!?

ともあれ、自分だけのモノでない命を生きていると思えてる私は得した気分です。何をしても人生のオマケ、何を言われても人生のオマケ。得な性分と思われるかも知れませんが、その得な性分も私には人生のオマケ。真面目ぶったり・深刻ぶったり・ふざけたり・悲しんでみたり・怒ってみたり・笑ったり、色んな経験を只で味わえ・只で見ているような、だからどうせなら人のタメになる善い意見を具体的にハッキリ述べたいと思えるのでしょうね。幸い私は職を替わることになっても直ぐに次の職を得られたお陰で失業保険金を手にしたことは一度もありません。勿論、私が職業を選ばなかったことも確かにありますけれど⋯です。

そうやって生きてきて今は、(贅沢しなければの条件付きですが)医療費もお陰さまで滞りなく支払えておりますし、最低限の税金も必要な金額は収められておりますし、三度三度の食事も滞りなく取らせていただけて、ありがたい社会に住まわせていただいていると感謝の心で過ごしておる次第です。今もこうして好き放題に思うままを申している積もりですが、我がままだけは決して言わないよう心しております。このように何を申しても後ろめたい気持ちにならなくて済むのはナンテ恵まれた素敵な人生でしょうか。これも即ち皆さまから賜った命があればこそ、心から感謝申します。こんなふうに滅多にお礼は言わないのですけどね。

ま、私なりにお礼を申してから、この後で述べることで誤解が無ければ好いがと思いつつも、ベンチャラを言ったところで誰も幸せになる訳もなく、それよりも少々耳に痛いことも言わなければならないと丁度善い言葉を探していたりしておるのです。大怪我しても・大病を患っても・大金を用意できなくても専門の病院で丁寧に診てもらえる社会に生きる私(私たち)。社会保険制度ほかの保障制度が進んでいる日本であれば、欧米のように・誰かのために僅かの寄付金を用意できない私だけれど、少なくも私は救われているのを感じます。現実には確かに切羽詰まって特別な援助を必要とする人も居らっしゃるのだろう。

日本のような文化先進国には自助・共助・公助とあって、公助は義務のようですし、共助は気の配り合いのようですし、自助は苦しい声を挙げることのようです。そうであれば国(都道府県・市町村)に厳しく、個人(マイノリティ)にはやさしい制度を私たちは持っているのです。この助けあいの制度がなければ私は今・この世にいないでしょう…いやいや、話が初めに戻ってしまいました。共助にしても声の掛け合い程度で済んで、たとえば救急車を呼んであげるとかの程度の共助で済んで、後は国に任せておいていい。いやいや、こんなもんじゃない。もっともっと国は私たちに尽くしてほしいという意見もあるだろうけれど…です。

もっともっと、いろんな人たちの意見が出てきてもいいかも知れません。意見が割れて激しい論争(ケンカ)になるかも知れないけれど、不満を抑え込んだところで心の平和が保てる筈もなく、だったら他者の意見を聴く訓練も子どもに不可欠じゃないのかな。取り留めのない話の展開になってしまいました? 了。 (∩´∀`)∩