配剤か? 采配か?ⓔ
私のブログは建設的批判の発信道具ですが、ドンナ記事も書いておれば誹謗・中傷にならない用心からコメント欄を設けている。これは私のポリシーであって他者に同調を強要するモノでなく、質疑・応答によって間違いは直せるし・しかも互いを高め合うブログの使いかたに満足している私!
1月6日のnhk視点・論点で国学院大学院の新谷尚紀教授が「正月とは本来どういうものか」と語っておられたが、日本では人々の触れあいの中で文化(風習)は目まぐるしく変わってきたようだ。(激変の善い悪いは別にして)日本の文化は人間関係の中で激しく換わるのが顕著に思われて面白かった。
善い変化も・悪い変化も考えられるから安易な変化には否定的になりやすい科学者や哲学者だろうな。科学・哲学の姿勢は洋の東西を問わないと私は考えている。それなら日本人は科学・哲学が出来ないのだろうか?そんなマサカ!? もしか、多くの日本人には天の配剤が擦りこまれている?笑
天の配剤・・・天は物事を適切に配するって意味。だったら天(神さま)は悪意のない人を悪いようにしないのじゃない?これ日本の文化。笑 日本人は元々神様を好きなんじゃない!? だから神さまは悪いようにしないって・・・母親に甘える感覚に近いかもね。ところが西洋は違う⋯天の采配かな
現代日本にも天の采配って云う日本人はいる。西洋では敬虔(けいけん)なクリスチャンは地獄に堕ちないようだ。もちろん、哲学や科学の立場はこれを否定することになる。キリスト教が国教みたいな西洋では殆んど全員がクリスチャンだろうけど、科学者・哲学者の思想は微妙に異なるかもね。
天の采配とは天(神)が指示するって意味。だから神さまの指示に従わなければどうなる?罰を喰らうのじゃありません?奴隷が主人の命令に従がわなければ罰せられて鞭打たれても仕方ない。天の采配(命令)に従順なのが敬虔(けいけん)でしょう?日本の神様は「俺に従がえ」なんて言わないよ。笑