法~鏡or鑑 ㊤
― 副題「慣れ・練習/鍛えの夏」とします ―
さて、上記を読んで(あなたは)どう感じられたか知らないが、私はこの悩みを寄せてくださった17歳の高校一年生りりさんを想った。(りりさんは17歳だからオトナ扱いされていいと思うも)私が語りかけているあなたは17歳ではない。(私は)社会人たるあなたを想定して語りかけている。そんなあなたとりりさんの言行はソックリでないのかな。ソックリ…あなたを鑑(かがみ)として、りりさんという鏡(かがみ)に映しだされた姿であれば、あなたとりりさんがソックリなのは当たり前です。鏡だった青少年時代をあなたは過ごした筈だが今も鏡なら、りりさんは誰を鑑(かがみ)にオトナに成れと言うのか?30年後のりりさんも現状のあなたのそっくりさん?
こんなことを堂々と述べる「私のような者」を見倣いなさいとあなたは言いますまい。結局、あなたは「賢い対応をしなさい」とりりさんに教えるのでないか?その結果、りりさんはあなたの賢い対応を学び(真似び)てあなたのそっくりさんになっていく。私が間違っているとお思いならば私を窘めて直してくださいね。過ちが直ると私は磨かれて素敵なオトナへと進化していける。だから私を善く窘める言葉は私にとっての財(たから)の言動に決まっているから感謝できるのです。窘めた経験をお持ちでなければムズカシク思われるかも知れませんし、練習・訓練だと思って私を相手にガンガン吐出したら、あなたの心の財は増えること間違いありません。
誤まった鑑(かがみ)しか持たない子は誤まった道を歩き、誤まった鏡(かがみ)を観た大人(おとな)は己の人生の無駄を教えてくれている鏡(りりさん)に感謝の想いで真実を伝えたいと願って苦しみ・悩み・愛(かな)しむ人生を歩むことになる。すなわち、泣きながら生きて、死んで(来世に)は安穏の夢を愉しむことになる…と、これは私の哲学ですが、自分自身を転換する覚悟をもって私は日々を過ごして生きている積もりなのです。当然ですが、笑いながら過ごしたいあなたのお気持ちも私は理解致します。了。