進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

交さ路(13)/モモ⑫

昨夜24日のnhkモモ」第4回目「受動から『能動』へ」を考えたい。河合俊雄氏の番組監修だろうし単純明快で面白かったが、私のモモは私の中の一休さん。私の一休さんが住む世界も私が住む世界も是の世界のみ。原本「モモ」も・翻訳本「モモ」も読んでいない私が正確な評価を出来ている確信は持たないが、小説中の灰色の者たちが時間を奪ったとする表現は私の好みでない。この辺りにエンデと私の世界観の違いが表われている気がする。旧約受動の世界観だが、哲学能動を訴求することになるから、結果的に西欧は受動能動の間をブレて揺れるのかも知れない。因みに仏教の世界観は基本的に能動でしょうね。

私流儀で書くなら、灰色の者たちが世界を奪ったという展開が好いかな。その伝で「時間を奪いかえす」は「世界を活かす」へと展開しそうだ。エンデのモモは受動的らしいが、(善くも悪しくも)私の一休さんも受動的。講義中、「エンデのモモ」の責任者に触れようなどと、あなた思わなかったろ? いかが?その点「私の一休さんの責任者は誰だ?」ってならないか?「禅寺の一休さんの責任者は誰だ?」って世間が騒がなかったのも同根かも知れません。日本には「下(げ)」の思想がある。その一方で「もの申す」の思想がある。西欧では「哲学」が「もの申す」に相当し、日本では哲学を持つ宗教ということにならないか?今回はココまで。了。