進化する猫 🐈

猫も進化する‥それだけのことなんですニャ~ン😹

考/雨にも負けず➑

― 今回は入沢康夫による宮澤賢治誹謗記事コピーを載せます ―

上記、入沢康夫による宮澤賢治の誹謗記事と述べておりますが、fc2の管理人が私の投稿を誹謗と理解した時、私の記事は削除されるでしょう。そうでなくて、私の記事が「誹謗記事を咎(とが)めていると受けとめられたとき、記事はが消されないと思います。(*´ω`*)


そよかぜ~文学少女
気.    . 吹  て . 通.  . す .ぎ .た         . 又  郎..  .も 

賢治の遺品「雨ニモマケズ手帳」に綴られた『雨ニモマケズ』の詩、
仕事の合間に思い浮かんだフレーズは溜まり、やがて詩に成長する。
賢治は楽しい思い・辛い思い・苦しい思い・悲しい思いをしたと思う。
己が苦しければ、他人の苦しみにも思いが及ぶのが詩人・菩薩です。
詩人の思いは、弱い人・虐げられている人への思いとなって膨らむ。
その思いが頂点にまで膨らみ・結実して産声は元気にあがるのかも。

推敲半ばに病に倒れた賢治を偲ぶ人たちの思いが詩を蘇らせたのか。
早産児が力なきが如く、この詩も完ぺきとは言えないかも知れない。
良医は未熟児を貶す事なく・その命をつなぎ留め・育てようとする。
その未熟児の母が懸命に耐え・戦ったことを誉めて労い・祝福する。
その母の想いを我がモノとしてこそ、赤子の力を引き出せるのです。
未熟児という事だけで外科手術するのは理に合わないと思うのです。

雨ニモマケズ』は「ヒドリ」をそのままに置くのが好いと思った。
その上で「ヒドリ」が致命的な欠陥だとなれば外科手術も必要かも。
詩『雨ニモマケズ』に「ヒドリ」が使われてはならないのだろうか。
「ヒドリ」が気に入らないだけだという文学者はいないと信じたい。
その答えを得るために、批判的立場の人の言葉にも学ばねばならむ。
そう考えて、そして辿りついたのが入澤康夫氏が展開する持論です。

入澤康夫氏の論については次のHPに明らかです。
 宮沢賢治学会イーハトーブセンター
イーハトーブの記事&アドレスは既に削除されています(記.2021/1/10)


以下、入沢康夫の誹謗記事コピーです

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㊟文頭の(数字)は、読みやすくする目的で私が振ったものです

入澤康夫氏の『ヒドリ』誤まり論】

(1)もう十三年前、一九九二年の初めに出た「宮沢賢治」誌十一号に、私は「賢治の『誤字』のことなど─『ヒドリ』論議の決着のために」という小文を発表して、「〔雨ニモマケズ〕」中に賢治が書いている「ヒドリ」は「ヒデリ」の書き誤りであり、その点では過去の諸刊本がこれを「ヒデリ」と校訂してきたのは正しい処置であったと述べた。実際、この問題に関しては、学問的には、当時すでにはっきりと答えが出ていたのであり、もはや論議の余地は無いと考えるに到っていた。

(2)ところが、一般社会では、この問題をとりあげた大新聞の記事の力もあってか、いまだに「ヒドリ」が正しく「ヒデリ」に直すのはよろしくないと、思いこんでいる方々もかなりあるようだ。そしてそれが、場合によっては、大きな弊害さえ生みかねない(現に生んでしまってもいるらしい)ことを知って、心を傷めている。

(3)そこで、編集委員会の依頼もあり、前記十三年前の拙文の要旨を、以下に抄出して、読者の皆様に今一度、問題の本質を確認周知していただきたいのである。

(4)その度合いの多い少ないはあるにしても、どんな物書きでも書き誤りはある。「弘法も筆のあやまり」という諺さえあるぐらいだ。筆の勢いでつい誤った字を書いてしまう、あるいは必要な字を抜かしてしまう、といったことに関しては、宮沢賢治にしても例外ではない。

(5)平仮名で「ほんたう」と書くとき、賢治はときどき「ほうたう」と誤記している。これは、原稿を書いているとき、手より頭の方が先回りしすぎて、一字または二字先に書くべき字を書いてしまうという傾向──これが賢治にはきわめて顕著である──の結果であろう。たいがいは、書いたとたんに気がついて、抹消して、正しく書き直しているが、気づかず、そのままになってしまうものもある。

(6)こうした「書き誤り」についての論議で、ここ十年間の、もっとも顕著な例は、あの「〔雨ニモマケズ〕」中の「ヒドリ」の二字にかかわる一さわぎであろう。手帖の一冊に記されたあのあまりにも人口に膾炙した章句(作品?自戒自省のメモ?祈り?)の中の、
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
の箇所で、賢治は実際には「ヒデリ」を「ヒドリ」と書いている。これを、これまでのすべての刊本では、「ヒデリ」の書き誤りと見て校訂し本文としている。そして、そのことはけっして秘し隠されていたことではなく、すでに手帖そのものの複製や、当該数ページのファクシミリ等も世に出ていたし、『校本宮澤賢治全集』でも、校訂した上で事実を明記していて、その意味では、世に公開されていたわけである。

(7)ところが、「ヒドリ」は誤記ではなく、このままで「日傭いかせぎ(の賃金)」のことを言う方言なのだ、これまでの諸刊本の処置は誤っている、「ヒデリにケガチ(飢饉)なし」というくらいで、ヒデリは農民にとって不都合なことではない、ということを言い出した方があり、ある大新聞がそれにとびついて、全国版社会面のトップで大きく扱い、しかも原文が「ヒドリ」であることをこれまで不当に隠されていたかのごとき印象を与えるセンセーショナルな書き方をしてしまった。しかも、何人かの人々が、ろくに考えもせずに、この新説を支持する言辞をジャーナリズムの需めに応じて発表した。そのため、事ははなはだ面倒なことになって、記事の扱いの大きさなどから言って、世間一般では、「ヒドリ=日傭いかせぎ」説の方が正しいとまでは思い込まないにしても、論議は五分五分の形で、いまだにケリがついていないくらいに考えられているようだ。さらに副産物(?)として、「文学作品本文は、いっさい作者の原稿通りであるべきだ」といった趣旨の、俗耳には入りやすいが、実は暴論としかいいようのない発言もとび出す始末で、情けない限りであった。

(8)しかしながら、この問題については、前記新説の成り立つ余地は限りなくゼロに近く、逆に従来の(「ヒドリ」を「ヒデリ」の誤りと判断して本文では校訂する)立場は、確かな根拠(内容から言っても、本文批判的立場から言っても)がいくつもある。「ヒドリ」が「日傭い(の賃金)」では、前後と文脈的につながらないこと。賢治が、いくつもの作品(「グスコーブドリの伝記」ほか)で、常に「夏の寒さ(冷夏)」と「ひでり(旱魃)」とを、農家が困ることとして扱っていること。それが最も端的に書かれているのは、「グスコーブドリの伝記」の下書稿に当たる「グスコンブドリの伝記」の第七章冒頭部であろう。そこには、次のような対話が出てくる。
「ブドリ君‥‥‥沼ばたけ(水田)ではどういふことがさしあたり一番必要なことなのか。」
「いちばんつらいのは夏の寒さでした。そのために幾万の人が飢え幾万のこどもが孤児になったかわかりません。」
「それは容易なことでない。次はどういふことなのか。」
「次はひでりで雨の降らないことです。幾村の百姓たちがその為に土地をなくしたり馬を売ったりいたしました。」
 また、賢治の詩稿の一つ「毘沙門天の宝庫」では、「旱魃」に自分でルビをつけようとして、まず「ひど」まで書いて、誤りに気付き、「ど」を消して、「でり」と改めて続けている現場が見られる。これなどは、賢治が「ひでり」を時として「ひどり」と書き誤る傾向があったことを示しているし、また、「グスコーブドリの伝記」の生前発表形(昭和七年に「児童文学」に掲載)でも一カ所、旱魃の意味の「ひでり」が「ひどり」となっているところがある。これなどは、印刷上の誤植というより、元原稿そのものの誤りがそのまま活字化されたものである可能性が高い。

(9)こうした点については、すでに雑誌「賢治研究」五十三号(一九九〇年十一月)に平沢信一氏の明確な指摘があり、私もまた一九九〇年秋に池袋で行われた賢治フォーラムの席上で、資料のコピーを添えて説明し、その要旨は、やはり「賢治研究」五十四号(一九九一年二月)に載ったが、同誌は研究会の会誌として一般の目に触れにくいと思うので、ここに、今一度記した。

(10)話は、冒頭にもどるが、どんな物書きでも書き誤りはする。諸々の証拠に照らして誤りと判断できるものを、正しく校訂して本文にすることは、作者の意図を尊重する上で必要不可欠のことである。そうした本文校訂の責任は、きわめて重く、かつ多くの困難をともなうものであることを、読者も、編纂者も、出版社も、ここいらで再確認していただきたいと、つくづく思う。


(11)以上が、かつての拙文からの約三分の二の抄出である。
 賢治は、上記引用中にもあるように、水田農業にとって、「夏の寒さ」と「旱魃(ひでり)」は、困ることの筆頭に考えていた。「穂孕期」に日照が不可欠であり、「ヒデリにケガチなし」と諺にあるとしても、それは「日照」のことで、苗代期・田植期の「旱魃」(往々水争いなども起こった)のことではない。「旱魃」の「恐ろしさ」に触れた箇所は、賢治の詩にも童話にも、あちこちに見られる。

(12)文理的にも、本文批判的にも明らかに書き誤りと判定される箇所を、「あの賢治さんが書いたものだから変えてはならぬ」とばかり、間違いをそのまま生徒に暗誦記憶させたり、碑に刻んで後世に遺したりするのは、上に述べたような事情をわきまえずに、すでに成り立たないことが明らかになっている所説(「ヒドリ=日傭取りの賃銭」といった、書き手のその時の意識には浮かんでもいなかったことを主張する説)になおもすがりついた、一知半解の不適切な扱いであり、ひいては賢治の営為の本質に対する冒涜にもなることを、あらためてここで強調しておきたい。

(13)是が非でも賢治が書いた通りに碑に刻むというなら、碑の裏の銘板に「『ヒドリ』は『ヒデリ』の作者の書き誤りであるがそのままにする」といった主旨の注記がなされることが建碑者の、後世に対する責任として不可欠だろう。児童・生徒に教える時もはっきり「ヒデリ」と教えるべきである。そして、どうしても言いたければ「じつは賢治はここをヒドリと書き誤っているのだよ。賢治だって書き間違いをするんだねぇ」と付言する程度にするべきだと思う。
(顧問 神奈川県川崎市

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「ヒデリ」の文献的根拠              入沢康夫

(14)先ごろ「会報第30号ヤナギラン」に《「ヒデリ」──「ヒドリ」問題について》という一文を載せていただきましたが、その中で「ヒドリをヒデリに校訂する立場には、確かないくつもの証拠がある」と書きましたところ、そのいくつもの証拠をもっと示せというお声がかかりました。そこで、やや長文に及びますが、上記拙文では紙面の関係で挙げられなかったものを(気がついた限りで)童話と詩に分けて順不同に列挙してみます。(丹念に拾えばもっと増えると思います。)
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(15)
●童話「双子の星」
1. 私共の世界が旱(ルビ「ひでり」)の時、痩せてしまった夜鷹やほととぎすなどが、
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(16)
●童話「〔或る農学生の日誌〕」
1.高橋君は家で稼いでゐてあとは学校へは行かないと云ったさうだ。高橋君のところは去年の旱魃がいちばんひどかったさうだから今年はずゐぶん難儀するだらう。それへ較べたらうちなんかは半分でもいくらでも穫れたのだからいゝ方だ。〔注:「半分でもいくらでも」は「例年の半分かそこら(半分程度)だったにしても」の意であろう〕
2.耕地整理になってゐるところがやっぱり旱害で稲は殆んど仕付からなかったらしく赤いみぢかい雑草が生えておまけに一ぱいにひゞわれてゐた。/やっと仕付かった所も少しも分蘖せず赤くなって実のはいらない稲がそのまゝ刈りとられずに立ってゐた。 
3.あんなひどい旱魃が二年続いたことさへいままでの気象の統計にはなかったといふくらゐだもの、どんな偶然が集ったって今年まで続くなんてことはない筈だ。気候さへあたり前だったら今年は僕はきっといままでの旱魃の損害を恢復して見せる。
4.水が来なくなって下田の代掻ができなくなってから今日で恰度十二日雨が降らない。いったいそらがどう変ったのだろう。あんな旱魃の二年続いた記録が無いと測候所が云ったのにこれで三年続くわけでないか。
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(17)
●上記作品の創作メモ  創26「黎明行進歌」。
1.《父は水田一町一反畑地一町三反と、林三反歩原野一反歩母屋外三棟を有する自作農。前二年続ける旱害のため総て抵当に入れり、》 
2.《[一九二五年]六月 旱害 七月 旱害》 
3.《[一九二六年]六月 旱害》
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(18)
●童話「〔グスコンブドリの伝記〕」
1.ところがその次の年はちゃうどオリザを植え付けるころから雨がまるで降らず毎日そらはまっ青で風は乾いてゐましたのでどこの沼ばたけもまるで泥がかさかさに乾いてしまひだんだんひゞも大きくなってきました。ブドリたちは一生けん命上流の方から水を引いて来やうとしましたがどこのせきにも水は一滴もありませんでした。主人もまるで幾晩も睡らないで水を引かうとしてゐましたがやはりだめでした。
2.たびたびの寒さだの病気だの旱魃だののためにいつの間にかもう沼ばたけも昔の三分一になってしまって
3.雨はちょっと降りさうになっては何べんも何べんも晴れてしまふのでした。みんなは毎日そらをながめてため息をつきました。/「さあブドリ君、たうたうひどい日照りになった。(下書部分)
4.ところがそれから二年たってまた旱魃がやってきました。毎日毎日そらは乾いて沼ばたけはあっちもこっちもまたひゞがはいったといふやうなしらせは毎日新聞へ出てきました。(下書部分)
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(19)
●童話「〔グスコーブドリの伝記〕」(「児童文学」発表形)
1.ところがその次の年はさうは行きませんでした。植ゑ付けの頃からさつぱり雨が降らなかつたために、水路は乾いてしまひ沼にはひびが入つて。秋のとりいれはやつと冬ぢゆう食べるくらゐでした。来年こそと思つてゐましたが次の年もまた同じやうなひどり(「ひどり」は発表誌のママ)でした。    
2.クーボー大博士は(中略)そしてしまひに云ひました。/「もうどうしても来年は潮汐発電所を全部作つてしまはなければならない。それができれば今度のやうな場合にもその日のうちに仕事ができるし、ブドリ君が云つてゐる沼ばたけの肥料も降らせられるんだ。」「旱魃(ルビ「かんばつ」)だってちつともこわくなくなるからな。」ペンネン技師も云ひました。
3.「(前略)雨もすこしは降らせます。/ 旱魃(ルビ「かんばつ」)の際にはとにかく作物の枯れないぐらゐの雨は降らせることができますから、いままで水が来なくなって作付しなかつた沼ばたけも、今年は心配せずに植え付けてください。」 (火山局ポスター )
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(20)
(以下、詩に関しては、確認の便宜を図って『新校本全集』の巻数頁数を付記します)
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(21)
●詩「一八一 早池峰山巓」16、17行
 九旬にあまる旱天(ルビ「ひでり」)つゞきの焦燥や/夏蚕飼育の辛苦を了へて (第三巻 本p.111 校p.272)
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(22)
●詩「三五六 旅程幻想」初行
 さびしい不漁と旱害のあとを (第三巻 本p.164 校p.397)
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(23)
●詩「二五八 渇水と座禅」6行?11行
 さうして今日も雨は降らず/みんなはあっちにもこっちにも/植ゑたばかりの田のくろを/じっとうごかず座ってゐて/めいめい同じ公案を/これで二昼夜商量する…… (第三巻 本p.221 校p.536)
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(24)
●詩「三一七 善鬼呪禁」末尾より6行と同5行
 どうせみんなの穫れない歳を/逆に旱魃(ルビ「ひでり」)でみのった稲だ (第三巻 本p.141 校p.340)
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(25)
●詩「一〇二二〔一昨年四月来たときは〕」最終行
 そしてその夏あの恐ろしい旱魃が来た (第四巻 本p.55 校p.110)
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(26)
●詩「一〇七六 囈語」後半部
 せめてもせめても/この身熱に/今年の青い槍の葉よ活着(「活着」にルビ「つ」)け/この湿気から/雨ようまれて/ひでりのつちをうるほせ (第四巻本p.264 校p.327)
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(27)
●詩「一〇七六 病中幻想」最終連
 せめてはかしこ黒と白/立ち並びたる積雲を/雨と崩して堕ちなんを (第七巻 本p.235 校p.613)
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(28)
●詩「発動機船 一」9?12行
 ……あの恐ろしいひでりのために/みのらなかつた高原は/いま一抹のけむりのやうに/この人たちのうしろにかゝる……(第五巻 本p.10 校p.9)
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(29)
●詩「毘沙門天の宝庫」下書稿初形22行以下
 旱魃(ルビ「ひ[ど→(削除)]でり」と手入れしてある)のときあいつが崩れて/いちめんの雨になれば(中略)
 大正十三年や十四年の/はげしい旱魃のまっ最中も/いろいろの色や形で/雲はいくども盛りあがり/また何べんも崩れて暗くひろがった/けれどもそこら下層の空気は/ひどく熱くて乾いてゐたので/透明な毘沙門天の珠玉は/みんな空気に溶けてしまつた (第五巻 校p.48?49)
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(30)
●詩「毘沙門天の宝庫」本文22行以下
 もしあの雲が/「旱(ルビ「ひでり」)のときに、」/人の祈りでたちまち崩れ/いちめんの烈しい雨にもならば/(中略)/大正十三年や十四年の/はげしい旱魃のまっ最中も/いろいろの色や形で/雲はいくども盛りあがり/また何べんも崩れては/暗く野原にひろがった/けれどもそこら下層の空気は/ひどく熱くて乾いてゐたので/透明な毘沙門天の珠玉は/みんな空気に溶けてしまつた/(第五巻 本p.50?52)
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(31)
●詩「旱倹」本文第二連
 野を野のかぎり旱割れ田の、白き空穂のなかにして、/術をもしらに家長たち、むなしく風をみまもりぬ。 (第七巻 本p.80   校p.252)
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(32)
●詩「〔歳は世紀に曾って見ぬ〕」 3-4行
 人は三年のひでりゆゑ/食むべき糧もなしといふ  (第七巻 本p.181 校p.535)
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(33)
《まとめ的追記》 
 以上に列挙しましたように、「旱魃(ひでり)」、「旱魃(かんばつ)」、「旱(ひでり)」「ひでり」といった語は、賢治の書き遺したものの中では、きまって、「困ったもの」「つらいもの」「恐ろしいもの」「せめて、涙とか、自分の身熱から生ずる汗でもって、ほんの少しでも渇きをうるおしたいもの」といった負のニュアンスで出て来ます。
(これに反し、日雇い労働の辛苦のニュアンスをこめた「ひどり」という語は、あれほど農家や農作のことに言及している賢治の莫大な文中(作品・書簡・雑纂等、現在知られているすべてを含めて)には、ただの一箇所も見付かっていません。「葬式」「肥取り」などの意味でも、もちろんです。)
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(34)
《付録》
「ヒドリ」→「ヒデリ」の校訂に対する、論難と反駁(「ビジテリアン大祭」ふう)
論難者A :手帳に書かれた、この「雨ニモマケズ」のいくつかの箇所で賢治は字句の手直しをしている。「ヒドリ」が誤記なら、賢治はその手入れの際に気がついて訂正した筈ではないか。
駁論者A :これらの手直しは筆記具・筆致も同じで、おそらく皆、書きながらの直しであり、後日見直しての手入れはされていない。同様の誤字の例は、たとえば同じ手帳の十数頁あとの70頁に書かれた「諸仏ニ報ジマツマント」にも見られる。その前後にいくつかの手直しや抹消が見られるが「マツマント」は「マツラント」に訂正してない。
論難者B :同じ手帳の近くの頁に記された劇のメモ「土偶坊」中では「ヒデリ」とあり、こんな近くで同じ語を書き誤るはずがない。
駁論者B :賢治の草稿類では、同じ紙葉上や次の紙葉上に同じ語句が繰り返し出てきて、そのうちの一つだけが書き誤りになっていることさえ、ままあることだ。むしろ近くにヒデリがあることは、ヒデリへの校訂をバックアップしているともいえるのではないか。
論難者C :詩「善鬼呪禁」に「旱魃でみのった稲」とあるが。
駁論者C :前後をよく読むと「その歳はその田だけがみのって、他のみんなの田は収穫がなかった」のである。
論難者D :ヒドリ=日手間取り説の創唱者は賢治の教え子であり、多年賢治顕彰に力をつくしてきた、秀れた人格者で、そういう人の判断は何よりも優先すべきだ。
駁論者D :一つの説の妥当性有効性は、その説の創唱者の人格や経歴によって左右さるべきものではない。これは言うまでもないことだ。
論難者E :あれほど執拗に推敲を繰り返し、言葉を選んだ賢治が、文字を書き誤るなどということがあるのだろうか。
駁論者E :校本全集の各巻巻末や新校本全集各巻の校異篇末尾にある「校訂一覧」を見れば、そこには本文で校訂した賢治の誤字が、何十も並んでいる。手入れの書込みの字句に誤字があることさえも、往々ある。
論難者F :とにかく賢治はヒドリと書いているのだから、他人が勝手に変えず、そのままにすべきだ。
駁論者F :十分な根拠に立って書き誤りと判定されたものは、世に出すときに正しく改めなければならない。さもなければ、賢治の真意は世間に誤って伝えられ、あるいは混乱を呼び、(ちょうどこの問答のような)無用の議論や無用の解釈を生んだりもするのだ。〔満場苦笑〕
論難者G :な、な、何が故に、「ヒデリにケガチなし」という、昔からの諺をないがしろにするのか。
駁論者G :まあ、まあ、落ち着きたまえ。すこし詳しく話してあげよう。いかにもその諺は大局的には正しい。手近な百科事典の「日照り」や「干魃」の項目には、「日本には古来『日照りに不作なし』という諺があり、これは稲作では雪解け水なども期待できるから、多照の年はむしろ米の豊作になることが多いことをいったものである(根本順吉)」とか、「日本は周囲が海であり、比較的湿潤な気候であるので、干魃の年は局地的にはひどい所があっても、イネなどは全般的には豊作な所が多くこのため『日照りに不作なし』などといわれる。(安藤隆夫)」などと、説かれている(『スーパー・ニッポニカ2002』)。しかし、この諺は夏の冷害がもっとも恐ろしい東北地方全体とか岩手県全体の作況についてなら、ほぼ当たっているであろうが、もっと狭い個々の範囲・個々の水田についてまで一概に適用できないのは、上記安藤氏の「局地的にはひどい所があっても」という留保に見られる通りだ。それに、当面の問題は一般論ではなく、賢治が旱魃・旱害をどう感じ、どう受けとっていたかではないか。そして、それは、彼が書き遺した多くの作品から、すでに一目瞭然ではないか。ここに、「ヒドリ=ヒデマ取リ」説を言い出された当のお方が自説を主張するために書かれた文章(「イーハトーブ短信」12号所収)があるが、この中に聞き書き引用されている篤農家の古老の言葉にさえも「田に水を引くことの苦労は毎年のことだが、日照りの時の苦労は格別で夜もろくろく眠らず水口番をすることが多かった。だから百姓同士の水引き喧嘩が絶えなかった。思い余って部落人が総出で神社に神楽を奉納して雨乞い祈願後に御神酒を頂いたことなどは忘れてはいない」という箇所があることを指摘しておこう。
以上
(なお、「ヒドリ」は「ヒトリ=一人」の誤記であるという意見につきましては、
http://www.kenji.ne.jp/why/review/review323.html
 に載せていただいた拙文をご参照いただければ幸いです。入沢追記)

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未完/雨にも負けず

考/雨にも負けず➐

あなたも格言「庇(ひさし)を貸して母屋を取られる」はご存知だろ?史実を引っ張りだすまでもなく、権力に靡(なび)く者が己を権威づけ・箔を付けようと躍起になる姿はあなたにも容易に想像できよう。権力の魔性と云うのか・いつの時代にも権力争いが絶えることはなかった。戦争・騙し・裏切りetc...何れも権力に付いてまわる利益の奪い合いに他ならないが、この格言は弱い者が強い者に取って替る手段の一つとしても使われてきている。強者の傘下に入ることで狙う目標(ターゲット)を指呼の間に置けば確実に仕留められるだろ?

例えば日本の資産の一つに瑕(きず)が付いた。そこへ親切な人が「瑕を直しましょう」と寄ってきた。是などは有難い話だ。だがそれは狼🐺だったと判断されたら?丸々太った狼をあなたなら如何なさるか?私の大好きな日産のゴーン氏の例がそれに当るのでないか?(私でも)丸々太った(ゴーン)を退治する筈だ。この場合の日本政府は日本社会の利益を守る権力にちがいない。だから権力が具わってたら私も同じことをする。日本人のあなたを守りたい一心の私も日本社会の一員。誤解を招く害悪な行為を権力が咎めるのは仕方ない。笑

権力は己が権力のよってきたる所を死守する。これはお分りですね?信長は己を神格化・バテレンの科学を利用しようとした。秀吉は危険を覚えてバテレン追放令を出した。家康はバテレンに危険を覚えて鎖国・己を神格化した。三者三様の権力維持学が私に見える。己の支配下に置いて安全・役立つモノを権力が外すとは私には思えない。例えば中国…せっかく進出していっても身ぐるみ剥がされた日本企業はあるのでないか?中国を食い物にするヤツを中国の権力が見逃すだろうか?(私が事業家なら)骨を埋める覚悟進出先へいく。

 GAFA(ガーフア)…ご存知だろう?これ等はドコの国の企業か?まさか、アメリカ企業だとお思いだろうか?日本の企業は日本の権力に利益をもたらし・中国企業は中国の権力に利益をもたらし・世界企業は世界の権威に奉仕する。だから GAFAはドコの権威・権力に利益をもたらしているか?この程度のことしか私の考えは及ばないが、あなたはもっともっと高い思想をお持ちだろう!?あなたは誰を利するのか?あなたの思想では誰が得するのか?私の一票は、私の生の拠り所たる権力の役に立つ思想に差しあげることになる。(∩´∀`)∩

さて、イーハトーブセンターは誰を利する集団なのか?今のところ、宮澤賢治を利するでなし、入沢康夫を利するでなし、この辺りは私の目にも具体的に見えているようです。今回はココまでで、了とします
未完/雨にも負けず

考/雨にも負けず➏

ここまで入沢康夫イーハトーブセンターを観てきて「添削者は賢治の詩を安っぽく貶めたデキ損ないの詩人にちがいない」という視点にまで辿りついた。この視点は間違いであってほしいという思いが私のなかには強くあるが、善悪の証明をイーハトーブセンターに期待しても無駄かな…と云うのは私の観たところ、その時々の権力に靡(なび)いているだけだ。権力が「ひでり」と云えば「ひでり」と云い、「」と言えば【」を向くような…詩に対する思い(詩心)が感じられない。権力がマジョリティならマジョリティに従う腹…か?

宮澤賢治は「ひでりでは駄目だが、ひどりでも表現が足りない」と思ったかも知れない」と自分なりに私は考えるが、それがイーハトーブセンターに見られないのは詩心を持たないからで善悪以前の問題かも知れない。「宮澤賢治は試行錯誤を繰り返した詩人」という事実はwikipediaで具体的に観れる。造語「イーハトーブ」を編んだときもイエハトブイーハトヴイーハトーヴイーハトーヴォ/イーハトーボイーハトーブ」と変遷している。権威に盲従する者は「試行錯誤する奴は駄目だ」と教えられると受入れる。

私の論考を読んで快く思えない人は「ひでりで駄目なら、なにが良いのだ?」と反論にならないイチャモンを付けたくなるかも知れない。反論は詩人の詩心に因るから有難い。イチャモンは権力の走狗の瞋(いかり)にちがいない。だから真理を求める心で「なにが良いだろう?」と共に探究する姿勢は善いのだが、そうでなく権力に逆らう者は懲らしめてやる・赦さんという感覚は困ったものだ。入沢康夫の「ひどり誤まり説」を広報に載せた不始末をどう反省しているのか?イーハトーブセンターには誠実な対応が求められて当然ですね?
未完/雨にも負けず

考/雨にも負けず➎

いやあ、人生って愉しいものですね。こうして正義のために書いていると思えれば一文字書く毎に愉快でならない。逆に、この文章を読みながらブツブツ陰口をきいていれば(私は)今・惨めな時間を過ごしている。(己の人生の)主人公としての日々・時々・刻々を充実して過ごしたければ、それには正義の味方として過ごすしかない。只、それだけで主人公になれるのですから簡単ですね。笑 (∩´∀`)∩ ところで詩「雨にも負けず」には二種の原文NHK朝日放送の御尽力で世間に公表された。それを次下に書いておきます。なお、(読みやすくなるかと思って)勝手ながらカタカナ表記はひらがな表記に変えております。

原文「雨にも負けず」(推敲途中)宮澤賢治・作 ≪朝日放送のほう≫
雨にもまけず 風にもまけず 雪にも夏の暑さにもまけぬ 丈夫なからだをもち 慾(よく)はなく 決して瞋(いか)らず いつもしずかにわらっている 一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜をたべ あらゆることを 自分をかんじょうに入れずに よくみききしわかり そしてわすれず 野原の松の林の蔭の 小さな萱ぶきの小屋にいて 東に病気のこどもあれば 行って看病してやり 西につかれた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい 北にけんかやそしょうがあれば つまらないからやめろといい ひどりのときはなみだをながし さむさのなつはおろおろあるき みんなにでくのぼうとよばれ ほめられもせず くにもされず そういうものに わたしはなりたい

原文「雨にも負けず」(仕上がり)剽窃作品 ≪NHKの放送のほう≫
雨にもまけず 風にもまけず 雪にも夏の暑さにもまけぬ 丈夫なからだをもち 慾(よく)はなく 決して瞋(いか)らず いつもしずかにわらっている 一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜をたべ あらゆることを 自分をかんじょうに入れずに よくみききしわかり そしてわすれず 野原の松の林の蔭の 小さな萱ぶきの小屋にいて 東に病気のこどもあれば 行って看病してやり 西につかれた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい 北にけんかやそしょうがあれば つまらないからやめろといい ひでりのときはなみだをながし さむさのなつはおろおろあるき みんなにでくのぼうとよばれ ほめられもせず くにもされず そういうものに わたしはなりたい

こうして並べると、宮澤賢治の詩は未完成で、剽窃のほうは仕上がり品という違いも明らかですね。推敲途中(未完成)の賢治の原文を観て、これは下手だとか間違ってるとか貶せるほど私は完璧でありませんから原文の評価をしませんが、剽窃のほうは「これでヨシ」として出したのでしょうから私にも評価は可能です。「ひどりは駄目・ひでりで佳し」とした納得のいく説明・根拠が薄弱なのは困ったものですね。もしかしたら賢治は「ひでりは駄目だが、ひどりでは表現が足りない」と思っていたかも知れないじゃないか。それだと添削者は賢治の詩を安っぽく貶めたデキ損ないの詩人にちがいない。

今回はココで置いておきます。了。
未完/雨にも負けず

考/雨にも負けず❹

お陰さまで「入沢康夫ヒデリ論支持の文言」は私の武器になっている。武器すなわちでもあり・でもあるのが入沢のヒデリ論に違いないと云うのが私の立場。自己超克/時宜(11-6)でも述べましたけれど、その「(ほこ) (たて)」のこと。是の矛盾(むじゅん)は排除することで無くなる訳はなく、矛盾なく正当に使ってこそ正義に役立つ(と私は信じております)。ですからイーハトーブセンターがこの文言を何の説明もなしに消し去ったことは入沢康夫のためにも残念でならない。ともあれ、私もコピーを持っているので矛盾なく論じていきたいと思う。

正義に役立てば正義の矛盾(むじゅん)に違いない。この事、あなたはどうお思いになるだろう?正義の「矛 盾」の提供者は正義の味方に違いない。これは如何でしょう?そうではない「NO」とお思いになるのは自由だし、私はYESとする立場。入沢康夫のヒデリ論支持の文言を生かすべきか?殺すべきか?生かすときは入沢康夫は社会正義の貢献者に違いない。そうでなくて殺すときは入沢を社会正義の妨害者として貶めることになる…でしょ? (笑) 入沢を生かすためには論を表に出さなければならない。隠すのは以ての外。分りますね!?

入沢の論を読んで思索して語り合っての結果であれば、「賛成もよい、反対もよい、批判もよい、納得もよい。何のためという目的を忘れなければ必ず佳い所へ向かっていく」というのが私の立場です。人間の数だけの考えかたがあるのだから、同意を得なければならないと私は決めない。考え方が異なる人を嫌うとか排除するごとき不健康な思想は私のモノでないが、そのような不健康・異質な思想の人も排除しない社会が結局誰もが住みやすく・生きやすいのでないか?況して入沢は宮澤賢治矛 盾となる重要な役。(∩´∀`)∩

矛盾(むじゅん)と読むときは辻褄が合わないことを言い、由来は中国の春秋戦国時代の兵法思想家・韓非子にあるようだ。人間が人間を騙し・殺し・掠奪(りゃくだつ)し・奴隷として何とも思わなかった頃の思想は私には親しみにくい。あなたにはあなたの感覚があっていいが、人を人と思わない思想・社会であればこそ韓非子の思想は社会に広まったのだろう。現代日本春秋戦国時代の昔に戻したくない私は矛盾の欠点に学びつつ矛(ほこ)盾(たて)正当な使いかたを覚えたい。人を騙す目的でなければ・即ち人を生かす目的になる。

お分かりか?人を騙す社会・集団・個人は…例えば己の恥を隠蔽し・己に都合の悪い事実は無かったことにして人々の眼を反らそうとする。邪魔者は身動きできないように鉄格子に閉じ込めた話は世界中に溢れている。時代とともに卑劣な思想が消えれば良いが、それは有得ない。卑劣な思想を世界から消し去る痛快な役割りは人間味を保っている人間に与えられた資格であり才能だろうな。だから痛快な主人公の役を受けるには資格が要るって言っているのです。映画なら誰かの引立てでスターに成れても、現実の舞台は当人の覚悟ね。
未完/雨にも負けず

考/雨にも負けず❸

それでは入沢康夫氏の書いた文章を手掛かりとして雨にも負けずに踏みいって参ります。入沢康夫(以後敬称略)はヒデリ論支持の文言を書いて亡くなっている。入沢康夫を師と仰いだ感の強いイーハトーブセンターの立場は現在まで明確に示されておらず・コメントも一切無いようで、結局「沈黙の立場」という事です。沈黙の意味も色いろありますが、集団としての色を示せない事情はあるのかも知れません。たとえば賢治に確かめられればいいが故人であれば判断のしようがないということかも知れませんね。あるいは別の…かもですね。

ここで「ヒデリ論支持の文言」と述べたがお分りですね?つまり、入沢康夫は「ヒデリ論」の言い出しっぺではありません。それなら言い出しっぺは一体誰だ?その重大事に最近の文人も論客も触れようとしないのは…これも何か事情があるのかも知れませんが、それはココでの主題ではありませんから置いておきます。面白いのは、件の朝日放送の字幕では宮澤賢治「雨にも負けず」を朗読し、件のNHK教育番組は原文として言い出しっぺ作「雨にも負けず」を採り上げたことが明確に分かります。だから朝日放送NHKも私は好き。笑

常識的に言って、言い出しっぺ作の方は剽窃(≒パクリ)でしょう?宮澤賢治の「雨にも負けず」を剽窃したということ、大NHKなら百も承知でしょうね。幼児・小中学生に剽窃した詩「雨にも負けず」を教えて好いのか?真っ当な反論が通らない場所で、この朝日放送NHKの遣りかたは力を得るのでないか?いやいや、これはグッドファイト2(NHK総合ドラマ)の受け売れでもありますけれど。笑。正義が通用しないアメリカでは正義の弁護士も喧嘩するって極近の放映です。正義のためのケンカは私も大の大の大好きですからね。

もしか、最近の日本のテレビ局も喧嘩っ早いのかも知れないな。そんなことを想像して頼もしく感じていたりもする。ソクラテスの時代なら夫婦喧嘩する妻の安泰は約束されず・夫の安泰ばかりが図られた訳で、夫がソクラテスでなかったらクサンティッペは間違いなく奴隷として叩き売られたか・殴り殺されたか、悲惨な末路を辿ったに違いなかろう。民主的・人間主義の夫を得てクサンティッペの生は保障されたのですね。人権が尊重される社会・集団に於いては相手の無茶に対して喧嘩していいのです。正義が負けては駄目ですよ~ (笑)

私は賢治のファンだけど彼の知識は殆んど持っておりません。入沢康夫の書き込み記事がなければ賢治の擁護など望むべくもなかったでしょう。そんな入沢は私の大事な後ろ盾とも言える存在ですが、入沢と私では真逆の結論になりました。そんな入沢のドコが素晴らしいのだろうか?「語り合えた」という一点で私は入沢を受入れ・評価し・認めるのです。彼とダイレクトな意見交換は叶わなかったけれど彼の論文との意見交換はできたのですから私に文句のある筈はありません。結論が真逆になったのは各々の事情が絡んだからでしょう。

目的か目標かとよく云われる。目標を重視する立場は…其の勝利を重視すると言えばお分かりだろうか?目的を重視する立場は…其の勝利を放棄するのか?クサンティッペに遣られっ放しのソクラテスはどう?毎日毎日クサンティッペに遣られてるソクラテスは不幸だったか幸せだったか?だから私もクサンティッペみたいな嫁に魅力を感じるのです。こんな私を理解できますか?www だからあなはたNO・私はOK結論が違っても私には問題でない。それは問題だって人の気持ちも勿論私は理解します。今回はココまでにします。了。
未完/雨にも負けず

考/雨にも負けず➋


🌄 あけましておめでとうございます 🐦


新たな視点に立って開けなければならない扉は
今年も眼前に現れるかも知れない。それは私が
一歩前進するのにどうしても欠かせない扉。 
そのような思いで綴らせていただきます。拝!



宮澤賢治の雨にも負けず” に関連して様々な意見・コメントに学んでおります。ですから私が学んだ凡ての皆様には感謝の想いであり、正当な意見を真っ直ぐに述べてまいりたいと常々から思っております。宮澤賢治の「雨にも負けず」に関しても様々なお考えがメディアやインターネットに流れていて、例えば宮沢賢治学会イーハトーブセンターの広報版に載った入沢康夫氏(故人)の『ヒドリ』誤まり論からは殊に多くの知識をいただいたので賢治支持の立場にある私としても感謝の想いは高まりこそすれ少しも薄らぐことはないでしょう。残念ながら氏の誤まり論の記事はイーハトーブセンターに削除されていて今では読むことが叶いませんが、幸にしてコビー文がありますので引用して参ります。今回はご挨拶だけにしてこの辺で。<(_ _)>
未完/雨にも負けず